2009年11月30日月曜日

経験

月曜
目が覚めると寝室の入口に、外から戻った妻が見え
彼女は「赤ちゃん駄目かもしれない」とひとこと言って
堰を切ったようにそこから泣いた
朝、少し出血があると気づいてかかりつけの産科に出向くと
胎児の拍動が無かったという

二週前の検診で
超音波画像にうつった胎児には、すでに小刻みなリズムが認められ
妻は「こんなに小さいのにもう心臓動いているんだよ」と
感動しきりにその様子を話してくれたものだった

火曜
紹介された中核病院で、繋留流産と確定診断された
繋留流産では、胎児は死んでしまっているが
子宮にとどまっているため、取り除く手術が必要になる
「納得できるなら早いほうがいいです」と医師が言うと
妻はすぐに「一番早くなら、いつできますか」
「水曜入院、木曜に手術」
「じゃあそれで」

家に戻ると、妻はさばさばとした振る舞いで
入院の準備など始めて
明日あなたは夜勤だから、病院について来なくていい
夕方まで仮眠をとっていればいいと言う
それがにこにこ笑いながらもずいぶん断固とした調子なので
言うとおりにしたほうがいいのかと少しは思うが
もちろんそうであるはずがない

水曜
もうそろそろ出かけるという段になって
一緒に行ってもいいかと訊くと、うなづいた
道具一式詰めた、いちごの柄のトートバッグは
持ってみると案外重い
最寄り駅近くのコンビニで、普段使わない生理用ナプキンを買い
病院の売店で紙ショーツを買う
「健康ランドみたい」と妻が笑う

四人部屋の窓側のベッドに座っていると
「前日の処置を行います」と看護士に呼ばれた
子宮を拡げる器具を装着するのだという
十数分して帰ってくると
へその下あたりを左手でおさえながら顔をしかめて
「痛い」と言った
なんと返したらいいかわからなくて
「痛いね」とだけ、結局言った

木曜
看護士が、妻のきれいな左腕に
太い針で点滴をする
万が一のとき輸血もできるように、太い管を通しておくのだという
部屋がある四階から、ベッドごと三階へ移る
手術室の自動ドアの前で看護士が
「では行って来ます」と言うと
妻と目を合わすひまもなく
ベッドはドアの向こうに滑って行き、ドアは閉まった

脇の黒いベンチに座って待った

やがてドアが開き、ベッドが出てきた
妻は全身麻酔で眠っていた
四階の部屋に戻ると、少し目が開きかけた
看護士たちが
「吐き気を催すことがあるので、話しかけすぎないでください」
「暴れてベッドから落ちそうになるなら、ナースコールで呼んでください」
と言って出て行った

二人になってしばらくすると
妻は半開きの目で病室の天井見ながら
ろれつのまわらない口で僕の名前を呼んだ
「ここだよ」
と話しかけると
「どこ」
と言って両手を宙に差し出す
ベッドにおおいかぶさるようにして
彼女の視線の先あたりに顔を近づけると
妻は突然、僕の胸倉あたりを両手でつかみ
ぼろぼろ涙こぼしながら

「赤ちゃんいななった」
「赤ちゃんいななった」
「今度ちゃんと産むから嫌いにならないで」
「今度ちゃんと産むから嫌いにならないで」

僕は我慢がきかなくて、そこで泣いた
鼻水がずるずるたれてきた


2009年10月24日土曜日

幼馴染

幼馴染が肺癌で死んだ。

彼女は大阪の外語大学を出たあと、上京して役者をしていた。
一般的な意味での成功を収めることはなかった。
時々、CMや深夜の通販番組などで目にすることはあったが、
その役者としての仕事を、ちゃんと見ることはこれまで無かった。

昨日の夜勤中、ネット検索に彼女の名前を打ち込んでみると、
妻が好きな刑事ドラマシリーズのある一話にクレジットがあった。
帰宅して話すと、
特にお気に入りの回だという。
この夏の再放送を録画していたものを見せてくれた。


国会議員が遺体となって発見される。
騒然とした議員事務所で立ち働く秘書たちの中に、
彼女がいた
初回放送の年月日からすると、年齢は二十六、七のころだ。
出番はわずか2カット、台詞は一言だけ、
その回のメインである室井滋氏が事務所に入るなり彼女に聞く。
「誰が来てるの?」
そして彼女
「警察の方です」


死んだと聞いただけなので、どうも実感がわかない。
ただ、
三十五で肺癌で死ぬということを、自分の身に照らしてみると、
どうにも受容しがたい
悔しくて悔しくて、悔しくてやりきれない、
それだけだ。

とはいえ、
彼女の姿の刻まれたものを目にすることが出来て、
少し気持ちがほぐれるように思えたのは確かだ。
たった2カット、たった一言の台詞を
彼女は本当に一生懸命、一生懸命やっていた。


さようなら
大人になってから、一度会えばよかった。


2009年9月9日水曜日

五限目

高校生だったころの夢を時々見るが
いつも五限目の授業だ

秋で
僕は痩せて猫背で
机の横についている、鞄を掛けるための細いフックを
左手の指ではじいている
表地が紺で、裏地がベージュの
マウンテンパーカを着ている

併設の中学校の音楽の授業で
ベートーベンの九番の
難しいところを切れ切れに歌うのが
校庭をわたって聞こえてくる

そうして僕は
夏の水泳の時間を思い出している
着替えて泳ぐのをけだるい連中が
プールサイドのテントの下で
見学と称してだらりとして
時折つじつまを合わせるみたいに
七月の文化祭の打ち合わせをする

そのうちひとりが甲高い声をあげて
日なたに走り出すと
服のままプールに飛び込んだ
浮き上がった彼を見て、みんなで笑った

水から上がろうとするところに
体育の教師が待っていて
妙に静かな声で
「バカが」と言った

笑い声がやんだ

なんで五限目なんだろう
あの眠くてつまらない五限目
もっと甘くて胸苦しくて
夢に見るといかにも心地よい瞬間が
たくさんあったはずだと
目が覚めるたびに思う

思うが、夢に見るのは
きょうも五限目だ
五限目の僕は、何もしていない


2009年5月10日日曜日

葉書

妻はちょっとした懸賞がついた
雑誌などのアンケートのハガキを書くのが好きだ。
しかし、なかなか出せない。

外出の際、持って出るのを忘れる。
外出先で気づき、地団駄踏んでくやしがる。

次の日、ハガキを持って出る。
(よしよし)
ところが、ポストに入れるのを忘れて帰って来る。
家で気づき、地団駄踏んでくやしがる。

そして次の日、また持って出るのを忘れる。
あとは何回か、そのふたつの繰り返しだ。

何度も持って出ては持って帰ってくるので
最初ぴんとしていたハガキも
だんだんヨレヨレになってしまう。

ようやくポストに入れた日、
妻は誇らしげである。
僕が「よくやった」と褒めると
にいっと笑ってふんぞりかえって
まんざらでもないという顔をする。

懸賞は、わりとよく当たる。