2010年1月11日月曜日

夜明け前

年末から年始にかけて読んだ。

島崎藤村の父・正樹は
幕末から明治への激変を木曽で生きた人だった。
家業は中山道の宿場の役人であり、
江戸幕府による統治システムの一部を担っていた。

一方で、彼は国学者だった。
国学、特に
彼が学んだ平田篤胤の国学は
「江戸幕府を倒して天皇に政権を戻す」
という「倒幕」の動きに
思想的な背景として大きな影響を与えた学問である。

実に矛盾をはらんだ境遇だ。

しかし、時代の急展開は
この矛盾を解消する方向へと進むかに見える。
三十代半ばで明治維新、
政権は、武士から天皇へと戻った。

ところが日本のシステムは、今度は急激に「西洋化」する。
この「西洋化」がまた、
彼の信条=平田篤胤の国学と相容れない。
それでも地域の代表として
人々の生活の改善に奔走するが
ことごとく何の成果も挙げられず、
深い失望の中、
五十代半ばで狂死する。

「夜明け前」は、このような父の生涯を通じて
藤村が
「明治維新とは何だったか」を世に問うた大作である。
連載の開始は昭和4年、
折しも
明治維新によって生まれた
「大日本帝国」というシステムが
第二次世界大戦での大崩壊へと向かっていく
とば口だった。

重い。しんどい。
読みにくい。
だがこのような
いわば「歴史との闘い」を試みたものが
軽く読みやすいはずもない。

藤村の父は当時の知識人であり、
当然、
時代の激変の只中にあって
何も考えずに身を任せるがままでは
いられない人だった。
「自分に何が出来るか」と考えざるを得ない人だった。
そして、何も出来ずに終わった。

そんな父の人生を見つめる藤村のまなざしは、
去年、村上春樹がエルサレムで行った
「壁と卵」のスピーチを思い起こさせる。

  「高くてかたい壁があり、
   それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、
   私は常に、卵のがわに立つ」
  「その壁がどんなに正しく、卵が正しくないとしても、
   私は卵のがわに立つ」

藤村の父は、壁にぶつかって壊れた卵であった。
そして藤村は、
父の思想、行動、人生が
「正しかった」とは決して言わない。
ただ、寄り添うのみだ。

真摯である。