2010年8月8日日曜日

フィッシュマンズについて

フィッシュマンズを知った時、佐藤伸治はもう死んでいた。
どこかで名前を耳にしたことくらいはあったかも知れない。
1999年の夏に、渋谷のHMVで「Aloha Polydor」をジャケ買いして、
その夜聴いた1曲目の「IN THE FLIGHT」にいきなり引き込まれた。
ガラス細工みたいな音だと思った

佐藤伸治が33歳で死んだのはその年の3月で、
「Aloha Polydor」は、追悼のベストアルバムだった。
僕は東京に出て来て3年目、25歳、
経堂にアパートを借りていたがほとんど帰らず、
当時の恋人が住んでいた松原の部屋で寝起きしていた。
自分で買って持ち込んだ安いCDラジカセで、
寝入りばなに毎晩聴いた。
聴きながら暗い天井を見上げていると
なんにもないところに沈んでいくような心持ちになって、
眠れたり、
眠れないにしても、不思議と落ち着いた気分になった。
でも恋人は、佐藤のファルセットが怖いと言ってあまり気に入らず、
僕は仕方なく夜な夜なボリューム下げて、
最後には、最小音量のスピーカーに耳押し付けるようにして、
それでもずっとかけていた。

ボタンひとつ押すと、何も聴こえなくなってしまう。
そして反対のボタンひとつ押すと、
夜の中なら、ちゃんと聴こえる。
それはそれで、また良いと思った。

秋になったころ、最後のライブを収録した「男達の別れ」が出た。
Disc2の「Long Season」に圧倒され、アルバム全部買い揃えた。


それからもう十年だ。
その恋人と結婚して、離婚した。
あれこれ贅沢な悩みに溺れているうちに、
佐藤伸治より年上になった。

フィッシュマンズは今に至るまでずっと好きで、
折にふれて聴き返してきたが、
感じ取るものは変わったと思う。

25歳の時、僕にとってフィッシュマンズは
自己愛を代謝するチャンネルのようなものだった。

「ドアの外で思ったんだ あと十年たったら
 なんでもできそうな気がするって
 でもやっぱりそんなの嘘さ やっぱり何もできないよ
 僕はいつまでも何も できないだろう」
(「IN THE FLIGHT」)

このような言葉を歌う佐藤伸治の細い声に、
僕は自分の過剰な自己愛を重ね合わせて存分に酔った。
そして癒された。
まだ十分に傲慢で、今にして思えば余裕のある時期だった。
ああ、ここに僕の気持ちを代弁してくれている人がいるなあ
この人は僕とおんなじだ


実際に十年たって、
このような言葉に酔ったり癒されたりすることはもう無い。
何ていたたまれない歌なのだろうと思う。
「感動的に」、いたたまれない歌であると思うのみだ。

佐藤伸治が歌ったのは、
たとえば絶対的な孤独、孤独を避けがたい人生に対する諦念、
そこで泥まみれになることを避け、
浮遊するように処世する「術」と、その「薦め」などだろう。
その言葉を鵜呑みにして、僕はしたたか酔っていたわけだ。

しかし、そのような消極の極みを本当に是とする人ならば、
それを歌にして世に問うにあたって
あんなにやせ細って幽霊みたいになるものだろうか。

フィッシュマンズの音楽の奥に刻み込まれているものは、
そういう孤独や諦念や消極や処世を見つめた上で
それらと「対峙」したいと望んでいた
佐藤伸治の壮絶な「葛藤」なのだと、今は思う。

佐藤伸治は、その並外れた透徹な目でもって
くそ真面目にいろんなものを見て受け取って、
くそ真面目にそれらと折り合いつけようと
もがいて、結果的に疲弊していったように思えてならない。
折り合いをつけよう、つけることが出来るとまだまだ挑んでいるのが
1996年の「空中キャンプ」のころ、
そして疲弊しつつあるのが
1997年の「宇宙 日本 世田谷」のころではないかと
僕には感じられる。
この二枚と、二枚の間に出た35分1曲のアルバム「Long Season」は
90年代を代表する名盤と世評の誉れ高いが、
個人的にはいつも
最後の「宇宙 日本 世田谷」にとりわけ強い印象を受ける。
終曲「daydream」の痛々しさは、特に衝撃的だ。

「死ぬほど楽しい 毎日なんて
 まっぴらゴメンだよ
 暗い顔して ふたりで一緒に
 雲でも見ていたい」
(「daydream」)

伴奏が必死に、それではダメだと叫んでいると
今は感じる。
かつて、これを聴いて「癒された」などと感じていたなんて、
個人的には、非常に恥ずかしい思いがする。