2012年12月30日日曜日

明け暮れ

今年も結局、自分の中のよくわからないものと争って
終わり無く消耗することに明け暮れた。
パニック、失語、憂鬱と不安と希死念慮、
そしてそれらすべてに対する恐怖の波濤が常に頭のなかにある。
なぜあるのか?なぜ無くならないのか?
内側だけで疲れ切ってしまうなんて、
あまりに不公平が過ぎると思わずにはいられない。

だがなんとか今年も仕事を失わず、
不満足だが、なんとか生きた。
来年も、こうして生きていくだろう。
生きていかなければ死んでしまうし、
死ぬわけにはいかないからだ。
深夜、家に帰ると、
息子のお絵かきボードに妻がおつかれさまと描いていた。
寝室で、二人の顔をしばらく眺めた。





2012年10月1日月曜日

家族

妻は五人きょうだいの長女である。
妻の母には妹が一人いて、彼女も四人の子を産んだ。
つまり僕の義理の祖父には、九人の孫がいる。

彼は二年前、僕の息子が生まれた日に亡くなった。
初めての曾孫だったが、会うことはなかった。
その三回忌となり、長野立科の墓を参った。
墓は本家の近く、稲穂の中にあって、
よく手入れされた風よけの灌木に囲まれていた。
代々の血族が眠る大きな墓だ。
初代の命日は天保年間だった。

母の妹は若くに病を患って亡くなってしまい、
彼女の夫は再婚した。
だから法事に来るのは、
四人の子どもたちとその父親、
そして、その後添いの奥さんだ。
妻の実家の人たちは全般、酒を飲まないが、
この奥さんは滅法強い。
僕も強くはないが好きなので、
真っ昼間から二人だけ、ビールをこんこん飲む。

彼女と夫、そして四人きょうだいの長男が
その日のうちに東京へ帰るという。
僕も次の日が仕事なもので、
妻と息子を残して戻る予定だったから、
車に同乗させてもらうことになった。
長男が運転、父親が助手席で、奥さんと僕が二列目だ。
四人のうち三人は、法事の主役と血のつながりが無い。

関越道の横川サービスエリアで、
奥さんが「晩ごはんに」と、名物の釜飯を買ってくれた。
自宅に戻って食べるとつくづく旨く、
妻に電話で話すと
「その釜飯、
 子どものころおじいちゃんと出かけたとき、
 いつも食べさせてもらったものよ。
 懐かしい」


不思議なものだなと、よい気持ちがした。


2012年9月16日日曜日

オーヘントッシャン

うちの実家はむかし、大阪の梅田で小さなバーをやっていて、
僕も東京に出るまでは
ちょくちょく顔を出しては
大人の男や女にまじってみるのが好きだった。
酒が飲みたくて行ったのではない、
せいいっぱい背伸びして、夜の空気を吸いたくてのことだった。

そのころはよく知らないまま
アーリータイムズあたりを飲んでいたが、
もちろん味などわからない、
うまいと思ったこともない。

東京に出てきて、
下北沢やら神楽坂やらに、ちょっと行きつけのところも出来て、
マッカランだボウモアだと知ったような顔をするようになったが、
なんだか格好つけていただけのことだ。

きのう、意外にも仕事が早くひけたので、
久しぶりにバーへ行ってみる気になった。
薄暗い階段を地下へ降りると、客は誰もいなかった。
どうしますかと言われて
なんとはなしにオーヘントッシャンを頼んだ。

ひとくち含むと強烈なアルコール
やっぱりウイスキーなんてろくなもんじゃない

ところがそのあと
燻した樽のにおいに体の中が満たされると
背伸びして飲んでいた昔が一気に思い出されて、ちょっと悪くない気分になった。

あの実家のバー
堂山町の雑居ビルの三階の奥
一階の揚子江ラーメンのトッピングの春菊
向かいのカラオケスナック
歌手になりそこねたマスターと、音大生のバイトがいた
出前してくれるお好み焼き屋のゲイの夫婦
にぎやかに話しているのに、なぜだかひっそりして見えた
あの街の夜は楽しかった


ウイスキーはうまいとはいえない
でも思い出を想起させるには良いらしい
ということは少なくとも、意味はあるということだ。

それはそうと、オーヘントッシャンはゲール語で
『野原の片隅』という意味らしい。
バーテンダーが教えてくれた。
なかなか詩だなと思った。


2012年7月30日月曜日

Don't Look Back in Anger

息子がどうやらギターを好きなので、
休日の食事どきなどにじゃらじゃら弾く。

先日、なんとなくやっているうちに
OasisのDon't look back in angerになり、
オアシスは妻にとっても思い出深いものだから
(高校時代カナダに留学した際、
 Morning Gloryをよく聴いていたそうだ)
久しぶりに歌ってみた。

いったい何について歌っているのか、
詩の意味は全然わからない。
しかし、やはり素晴らしく良い歌である。
たとえば冒頭の
"Slip inside the eye of your mind"
とか
サビ前の
"You ain't ever gonna burn my heart out"
とか、
カタカナで書けば
「すりぴんさいーでぃあいおびょーまーあいん」
「ゆーえいんえう゛ぁーごーなばんまーはあらあーああ」
て感じなのだが、
これを声に出して歌うと
なんだかよくわからないけど
とにかくすごく気持ちいい。

で、サビだが

And so, Sally can wait
She knows it's too late as we're walking on by
Her soul slides away
But don't look back in anger
I heard you say

一行目の"so""wait"と
三行目の"soul""away"が韻を踏んでいる。
これがもうとにかく、ものすごく気持ちいい。

ただ
何を歌っているのかは、やっぱり皆目わからない。
(サリーって誰だ)
作曲したノエル・ギャラガー自身、この詩について
「単なる言葉遊びで、意味など無い」などと言っていて、
・・・いやーそんなことはないでしょう、
そんなのカッコよすぎるでしょうと思うのだが、どうだろう。
本当にそうなのかもしれない。

重要なのは、
この詩が何を言っているのかさっぱりわからないのに、
全体としては
それこそ立ちのぼるように『切ない』ということだ。
『全体として』
青春の終わりとでもいうべきものが
過不足無く表現されているように強く思える。

荻原朔太郎は「月に吠える」の序文で
『すべてのよい叙情詩には、
 理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。
 これを詩のにほひといふ』
と書いていて、
この考えがまったく朔太郎オリジナルのものなのか、
それより前に誰かが言ったことなのか知らないのだが、
まったくもってこの『詩のにほひ』というやつが
Don't look back in angerには充満している。


僕はオアシスのライブを一度しか観たことがない。
2005年の秋、高校時代のバンド仲間が
「代々木体育館のチケットが4枚とれた。
 俺とヨメさんとおまえと、
 あとおまえが誰か誘って4人で行こう」と言うので、
それはいいねとほうぼう声をかけてみると、
どうしたものかその時にかぎってみんな都合が悪く、
最後に声をかけた、
当時ほとんど面識の無かった後輩の女の子が来ることになった。

さらに当日になって
今度はチケットを取った友人夫妻が来られなくなり、
結局、僕はほぼ初対面の
その女の子とふたりでオアシスを観たのだが、
その彼女が、いまの妻である。
あのとき、大声で合唱したDon't look back in angerは忘れがたい。


ロンドンオリンピックの開会式で
アークティック・モンキーズが演奏していたが、
「ここでオアシスが見たかったなあ」
と思ってしまったのはトシのせいだろうか。
(事実上)解散してしまったのは、実にもったいないことである。


2012年7月18日水曜日

強風

前は簡単に出来ていたことが
今は簡単に出来ない
前と同じことをするために
前の何倍かの労力を要する
きみの頭の中は常に強風
そのうちまた
前と同じように出来るようになるだろうと
思ったり願ったりしているが
出来なくなってから
もう五年以上経っている
きみはそろそろ
状況を受け入れなくてはならない
前と同じように出来るようにはならない
元には戻らない
きみの頭の中で起きたこと
きみの頭の中で起きていることを
ひとに伝えるのは難しい
ほとんど不可能と言っていい
僕は今ここに
このように座っていますが(立っていますが)
実はいま僕の中ではとても強い風が吹いていまして
あなたの声を聴き取るだけでも一苦労なのですと
そのように言ったところで
誰がわかると言うのだろう?
わかってもらえないと責めてはいけない
わからないと言ってくれるひとの
率直さに感謝すべきだ
きみはきみの中の強風を受け入れるべきだ
凪ぐのを待っていても無駄なこと
この強風の中で
聴き取り
話し
息をするやりかたを
そのできるだけうまいやりかたを習得していくしかない
そのように受け入れて
なんとか御していくべきだ
わかってほしい

2012年6月29日金曜日

ベージュの絨毯

夜勤明けで家に帰って
薬を飲んで寝た
夜に起きて
薬を飲んでまた寝た

夢を見た

若いころの自分と
若いころの友だち何人か
ベージュの絨毯が敷かれた部屋でだらだらしている
蛍光灯がついている
昼か夜かわからない

ふと気づくと
となりの女ともだちは猫だった
つやつやした銀の毛並み
体を動かすと
風が稲穂をわたるように
光の沢が美しい

ふかふかした腹に
顔をうずめて抱きついた
拒まれるかと畏れたが
彼女がふうと息をして
むしろちからを抜いたので
すっかり気をよくしてますますもぐりこんだ

ほかの女ともだちの声がした
「好きになっとるの?」

猫のともだちが言った
「好きになってきたわ」

僕はいよいよ気をよくして
「もうだめや、なんもできへん」

すると猫のともだちは
「だめやない、しっかりしなさい」

その途端、僕はひとりになって
ごうごう移り変わる景色に浮かんだ
神社の長い階段
河川敷のシロツメクサ
あの交差点のケヤキの並木
学生食堂の唐揚げ冷麺

そしてあのベージュの絨毯の部屋で
女ともだちがひとり
プロジェクタを壁に投射して映画を観ていた
女ともだちは
もう猫ではなかった

映画の中では
白いTシャツのやせた少年が
左の肩に唐草模様のストラップをかけて
うつむいている
あれはギターを弾いているらしい

少年は僕のように見えたが
僕ではなかった
そのまま夢がさめるにまかせた


2012年4月18日水曜日

春の死について

高校の後輩が春に死んでから
もうすぐ一年になるものだから、
彼女がSNSに残した日記などをつらつらと見る。
見てしまう。

全般、
春に心が悪くなりやすいのは本当のことで、
四月の精神科外来は毎年、明らかに混雑する。
付き添いの母親の呼びかけに皆目こたえない若い誰かの焦燥した横顔や、
ストレッチャーに拘束されて運ばれていく
若いのか若くないのかもわからない誰かの
そこだけあらわな汚れたスニーカーなどを眺めながらやりすごす待合は、
それだけで非常に消耗する。してしまう。

会社の同期もひとり、四月に死んだ。
もうあれは十年以上前のことだが、
十年前の僕はまだ相対的に健康だったので
彼女がなぜ死んだのか、切実には理解できず、
ために、
その死を哀しんだり悼んだりすることも容易かった。

それが去年、後輩が死んだときは
もうなにもかもすっかり変わってしまっていて、
彼女が生きているのと死んでいるのと、
その境目にふらふら立って
何かの加減、あちらがわに飛び降り消えていく瞬間の心持ちを
自分の感覚としても
あまりに近く知りすぎてしまったため、
哀しいというより、第一おそろしかった
よくもまあ、自分は死なずにすんだものだと

そして僕は、
第一おそろしいと思った自分を恥じたし嫌悪した。
今も恥じているし、嫌悪している。

SNS上の後輩の日記は
法科大学院に通っているころから始まっていて、
落ち込んだり、元気になったり
文面から読み取れる感情の起伏も
最初のころは至極尋常な範囲のものだが、
それがやがて、今にしてみると
尋常ではなくなってくる。

本格的な療養に入って以後は
更新の頻度が数か月に一度になり、
次の日記、次の日記とクリックすると
記録された時間は加速度をつけてびゅんびゅん過ぎ去り、
そして突然

『これ以上、日記はありません。』

一瞬、虚を突かれた。
見てはいけないものを見たように感じた。

見てはいけないものなどであるはずがない、
見てはいけないもののように感じるのは
自分が恥じているからだ。
そのうちこのような物思いも
春がめぐるごと、濃度を失っていくだろう。
だが今年の春はまだ、物思わずにはいられない。


2012年2月11日土曜日

ねえ、きみはまた調子が悪いだの、わけもわからず涙が出てしまうだの、
物が考えられないだの体が動かないだの、
相も変わらずそういうこと僕に訴えてくるわけだけど、
正直なところ、もううんざりしているんだ。
そろそろいいかげんにしてもらえないかな。

  冷たいじゃないか。きみは僕なのに。

確かに僕はきみだけど、きみは僕じゃないんだよ。
ねえ、そもそもの話、きみには良くなろうという気があるのだろうか?
僕はその点、おおいに疑いを持っている。

  どういうこと?もちろん僕は良くなりたい。

忌憚なく言わせてもらえば、
それは嘘ではないかと僕は思っているわけなんだ。
つまりきみは病気でいたい、病気と名のついた状態でいたい、
病気であると精神科医に診断され続けたいとね。
ひらたく言うなら
きみは病気に、病気である自分に耽溺しているんだよ。

  そんなことはない。
  もう通院して5年だ。
  抗鬱剤やら安定剤やら、ああいう薬を飲むのもいやだ。
  寛解したい。

寛解!
ちょうどいいところでぬるい言葉が出てきたからこの機会に言うがね、
いいかい、きみはしんどいつらいと言いながらも、
ほとんど毎日、結局は都心に出社してるじゃないか。
ねえ、
どうやっても、どのように藻掻いても体が動かないのが病気なんだよ。
そういう意味じゃ、何となればきみはもう寛解しているのさ。

  ・・・

どうだい、寛解していると言われると
不安になるだろう。
きみは寛解なんて望んじゃいない、
寛解という状態に至るのが怖いんだ。

  そんなことは断じてない。

どうだかね。

  どうやっても体が動かない時はある。
  いつも崖の側面の細道を歩いている感覚なんだ。
  注意していても時々踏み外して落ちる。

しかし代わりが効かない、効きにくい日にかぎって
そういうことは起こらない。
きみは細道を崖にむけて踏み外さない。
踏み外したとしても、どうにかこうにか這い上がってくる。
要は甘えなんだよ。
まわりの人も腹の中ではそう思っているさ。

  ・・・きみは手厳しい。きみは僕なのに。

こんなもの、手厳しいうちに入るかね。
おめでたくも無防備、考えすぎて袋小路、
きみは昔からちっとも変わらない、
表面だけでも変えようと快活に振る舞って、結局疲れて放り出して
この体たらくというわけだ。
そんなことだから、ほら、
黒いあの犬だって
あんなに大きくなっていつまでもあそこに座っているのさ、
どうだい、追い出せないならせめて
かわいがる気にはなれそうかい。
わかっているとは思うけれど、あの犬だってきみなんだよ。

  そしてきみも僕だ。

そう。僕はきみだ。でもきみは僕じゃない。
そんなわけで今夜は、久しぶりに犬と向き合って過ごしたまえ。