2012年2月11日土曜日

ねえ、きみはまた調子が悪いだの、わけもわからず涙が出てしまうだの、
物が考えられないだの体が動かないだの、
相も変わらずそういうこと僕に訴えてくるわけだけど、
正直なところ、もううんざりしているんだ。
そろそろいいかげんにしてもらえないかな。

  冷たいじゃないか。きみは僕なのに。

確かに僕はきみだけど、きみは僕じゃないんだよ。
ねえ、そもそもの話、きみには良くなろうという気があるのだろうか?
僕はその点、おおいに疑いを持っている。

  どういうこと?もちろん僕は良くなりたい。

忌憚なく言わせてもらえば、
それは嘘ではないかと僕は思っているわけなんだ。
つまりきみは病気でいたい、病気と名のついた状態でいたい、
病気であると精神科医に診断され続けたいとね。
ひらたく言うなら
きみは病気に、病気である自分に耽溺しているんだよ。

  そんなことはない。
  もう通院して5年だ。
  抗鬱剤やら安定剤やら、ああいう薬を飲むのもいやだ。
  寛解したい。

寛解!
ちょうどいいところでぬるい言葉が出てきたからこの機会に言うがね、
いいかい、きみはしんどいつらいと言いながらも、
ほとんど毎日、結局は都心に出社してるじゃないか。
ねえ、
どうやっても、どのように藻掻いても体が動かないのが病気なんだよ。
そういう意味じゃ、何となればきみはもう寛解しているのさ。

  ・・・

どうだい、寛解していると言われると
不安になるだろう。
きみは寛解なんて望んじゃいない、
寛解という状態に至るのが怖いんだ。

  そんなことは断じてない。

どうだかね。

  どうやっても体が動かない時はある。
  いつも崖の側面の細道を歩いている感覚なんだ。
  注意していても時々踏み外して落ちる。

しかし代わりが効かない、効きにくい日にかぎって
そういうことは起こらない。
きみは細道を崖にむけて踏み外さない。
踏み外したとしても、どうにかこうにか這い上がってくる。
要は甘えなんだよ。
まわりの人も腹の中ではそう思っているさ。

  ・・・きみは手厳しい。きみは僕なのに。

こんなもの、手厳しいうちに入るかね。
おめでたくも無防備、考えすぎて袋小路、
きみは昔からちっとも変わらない、
表面だけでも変えようと快活に振る舞って、結局疲れて放り出して
この体たらくというわけだ。
そんなことだから、ほら、
黒いあの犬だって
あんなに大きくなっていつまでもあそこに座っているのさ、
どうだい、追い出せないならせめて
かわいがる気にはなれそうかい。
わかっているとは思うけれど、あの犬だってきみなんだよ。

  そしてきみも僕だ。

そう。僕はきみだ。でもきみは僕じゃない。
そんなわけで今夜は、久しぶりに犬と向き合って過ごしたまえ。