2017年1月25日水曜日

続ける

「治るというものではありません」
現代の自閉症児の親が全員、医師から聞かされる言葉だ。
個人的にはほぼ事実と思う。
診断後、健常の国へ籍を移した例を知らない。
ただ、異邦人として健常の国で暮らせる程度に適応することは
不可能ではないと思っている。
それを可能にするのが日々の療育であり、
親としての勝負どころだと思っている。

「治らない」と言われて、
親たちは様々に反応する。
「そんなはずはない、治る」と目の色を変え、
玉石混淆の療育法を片っ端から試す人。
「このままでいいの、だって治らないんだもの」と抱きしめて、
それきり何もしない人。
両方気持ちはわかるが、極端な態度には賛成できない。
子供のためと言いながら子供を見ていない。

郊外へ向かう電車の向かいの席に、
小柄なお母さんと大柄な自閉症児が座っていた。
子供が突然奇声を上げ、次の駅で降りると身をよじり出す。
まだ先だとお母さんがなだめるけれどうまくいかず、
子供は目を見開きこぶしを振り上げる。
お母さんは身動きやめて、手を膝に彼の目を見る。
彼がぎりぎりと歯を鳴らしながら、
振り上げたこぶしを下ろす。

親子は次の駅で降りて行った。
お母さんは今まで何度途中下車しただろう。
今回もした。
しかしお母さんは今まで何度、息子に殴られたことだろう。
今回は殴られなかった。
そこに少しの前進があり、希望がある。

週末から我が家にも何度目かの嵐が来て、妻も私も疲れている。
携帯端末に残っている長男の三年前の写真を、
最近のものと見比べる。
三年前、私が子育てを始めた頃だ。
それまでは妻が一人でしていた。
しかしそこから三年、まあまあさぼらずやって来た。
そのことを小さな誇りにして、今日も続ける。