2014年4月15日火曜日

四月

長男と朝の散歩に出ると、
彼と同い年の、普通の子供たちを嫌でも目にする。
通い始めた幼稚園の迎えのバスを待っている。
親と手をつないで。
長男に目をやると、道沿いの住宅の門扉をいじっている。
門扉にこだわりがあり、一軒ごとに取手を回さねば気が済まない。
止めると暴れる。

次の門扉へ移る時、右手を握ろうとしてみた。
払いのけられた。

昼前の公園、長男が遊ぶすべり台に、幼稚園児が二人走ってくる。
真新しい水色の帽子だ。
階段を勢いよく上るが、てっぺんで息子を先頭に渋滞する。
「ねえ、早くすべってよ」
そう言われても動かない。すべり台の流儀を理解していない。
母親たちが怪訝な顔つきになる。
「すいません、うちの子、障害があって、言葉が無いんです」
「ああ、そうなんですか。だいじょぶです」
しかし子供たちはすぐに焦れて
「ねえママー、この子へんだよー」
急いで
「ごめんねー。ほら、こっちだ」
抱きかかえて無理やり降ろし、その場を離れた。
「すいません、失礼しました」

福祉センターの貼り紙を頼りに、
児童発達支援デイサービスの見学に行った。
同年代の障害児を目にすると心が落ち着く。
そして私は較べる。
あの子はうちの子より重そうだ
あの子はうちの子と同じくらいか
あの子は
あの子はあの子は

帰り、息子は自転車の後ろの座席で
うおおおう、うおおおうと大声を上げている。
すれ違う人の視線を感じる。
今のところ、彼が発する唯一の声だが、
喜んでいるのか怒っているのか分からない。

まだ四月の半ばというのに、
午後の日射しは初夏のようだ。

飲みたい、飲んで寝てしまいたい。




2014年3月21日金曜日

エスカレータ

長男は下りのエスカレータを上りたいのだが、
そんなことは許されないし、危ない。
そうして一悶着、
彼は激しい癇癪を起こして泣き叫びながら地面に突っ伏してしまう。
外出するたび、このようなトラブルが必ず数回ある。

彼が普通の子だったら、毎日どんなに楽だろう。
だが普通の子だったら
今回育休を取ることもなかっただろうし、
そうすると僕は自分にとって決定的に重要なことを
知らないままでいただろう。

泣きじゃくる息子の傍らに座り込んでいると、
エスカレータを降りてきた初老の女性が覗き込むようにして、
「いつかわかってくれますよ」
と、声をかけてくれた。



2014年3月3日月曜日

橙

2014年3月3日、
男子、3574g
名は「橙(だい)」














おかげさまで母子ともに健康。
切迫早産での入院、
にもかかわらず予定日超過と気を揉んだが、
ひとまずほっとしている。

三年前に続いて、今回も分娩に立ち会うことが出来た。
赤ん坊の頭もそろそろ出てくるという最後の局面、
私の腕を握りしめて頑張る妻が
「あとであざにならないかなあ」
とこちらを気遣う言葉を口にするのを聞き、
この人とこれからも
いろんなことを乗り越えていこうと思った。

七月まで育児休業、
この機会に長男の障害と向き合う。



2014年1月10日金曜日

無知

1月9日、午後になって息子の咳がひどくなり、
軟便や嘔吐もあるため、妻の入院先の病院へ。
てっきりママの見舞いと思っていた息子はショックで大泣き、
処方されたシロップ入りの粉薬の在庫無いと薬局数軒に断られる、
水に溶いた薬を飲むのが嫌だと息子大暴れ、
あたり一面に液をまき散らして全部洗濯、などいろいろありましたが、
何もかもいい思い出になるかしらん。

育児、この半端ない仕事について私は今まで無知だった。
それなりやってるつもりで、
本当の根幹の部分は
結局、妻に任せっぱなしだったと、今にしてつくづく知った。

自分の誕生日だったと、過ぎてから気づいた。
三十九歳。
ここで知れたなら、良くはないけど悪くも無い。




2013年12月31日火曜日

ヘビー

2013年。

春に長男が「知的な遅れのある自閉症」と診断されショックを受けていたら、
二人目の妊娠発覚。
夏、障害抱えた息子との向き合いに苦慮するうち、
二人目も男の子とわかる。
12月27日夜、妻の股間に出血あり、
病院へ行ったら切迫早産の危険でそのまま入院。
子宮の張りを抑える薬を常時点滴投与、終わるメドなし。

そんなわけで母と息子は離れ離れ、
父と息子はクレイマークレイマー状態の、かなりヘビーな年の瀬です。
そして、かなりヘビーな一年だった。

来年はどうなるか。
あとで笑いばなしに出来ますように。


2013年10月3日木曜日

手をつなぐ

三人で散歩に行った帰り、もう歩けないと道に座り込んで、
抱っこは無いよと親が先に行きかけるのを泣きながら追いかけて、
まあでも、どこかで抱っこしないとしょうがないなと
こちらが思っていたら、
おもむろ、妻と手をつないで、結局最後まで歩いた。






息子は、苦手なことがいろいろある。
そのひとつが親と手をつないで道を歩くことで、
だからこんな普通のことだがとんでもなく貴重に思えて、だから僕は写真を撮る。


春、息子が自閉症と診断された時は、目の前が真っ暗になるような気がした。
受け入れるしかないと頭でわかっていても、やはり受け入れ難かった。

受容。
受容とは、葛藤を制御することだ。

たとえば息子と同じくらいの子どもが、
多くの言葉を使って親と会話しているのを街で見かけるたび、
うちの子はどうして話せないのだろうと、
身を削られるような思いにとらわれる。
そんなふうに思っても何にもならないと自分に言い聞かせても、
どうしても思わずにいられない。
人並みであってほしいのだ。普通であってほしいのだ。
つまらない? いや、つまらなくなんてない。
だからせめて、そういう物思いを認めて、見つめて、制御する。
それが僕にとっての受容だ。


とはいえ、ようやく覚悟も決まってきた。
何があっても、家族を護る。
もういちど春が来る頃には、新しい子も生まれてくる。
いろんなことと、しっかり向き合っていきたい。


2013年3月25日月曜日

四人

「猫がいるんよ、うちに」
と、友達が言った。
「猫?」
「そう、ショートヘア」
「何歳?」
「5歳」

その夜、彼女が誘ってくれて、
東京タワーの近くにある中国料理の店で食事をした。
会うのは三年ぶりだった。

「それがね、前に一緒に住んでたひとの猫やねん」
「ほう」
「で、別れるときにね、猫をくださいと
 だめもとで言ったんやけど、これがあっさりオーケーで」
「うん」
「驚かない?」
驚かないな、と僕は思った。
「俺が誰かと住んでて猫を飼ってて、
 別れるときに猫をください言われたら、あげると思う」
「あっさり?」
「あっさり」
「そういうのって、変じゃない?」
「変じゃない」

前段、店に向かう路地で、
前を歩いている細身の黒いコートが目に入った。
姿勢が良くて、後ろ姿ですぐに彼女とわかった。

「仕事の帰りがいっつも遅かってん、そのひとが」
「うん」
「で、夜ね、いっつもベッドの端にいて」
「猫が?」
「猫が。ドアのほう向いて待ってるの。
 彼が出てったあとも、しばらく毎晩そうやってしてた」

大学時代、彼女と僕と、
彼女の当時の恋人と僕の前の妻は
京都の国際交流団体のボランティアで同期だった。
四人一組で、何かとつるんでいた。

「猫を残して出て行く」
と、僕は言った。
「それで、どこかで似た猫を見かけたとき、
 きみのことを思い出すことがあるかもしれない」
「彼が?」
「彼が。
 今どうしているだろうか、
 あの猫と暮らしているだろうか。
 男はそういうところあるよ」
「女は無いわあ、そういうの」
「そうやろうね」

大学時代、四人で何をしただろう。
サマーキャンプのボランティア部屋で、どうしていただろう。
僕と彼女がいつも何やら悪だくみで、
ひそひそ話して、げらげら笑って、
それを大概、彼女の恋人と僕の前の妻が見ていた。
彼らはどんな顔して見ていただろう?

「あなたたちが結婚したでしょう。あれ何歳?」
「二十六歳」
「ちょうどそのころ、私と彼はだめになって」
「そうね」
「やるせなかった。
 どうしてそっちはそうで、こっちはこうなのかって」
「正直やね」
「正直よ。で、離婚したやん。あれ何歳?」
「三十一歳」
「いい言葉が見つからないけど・・・
 そうね、納得したんよ」
「納得?」
「やっぱり・・・そうね、やっぱり。
 やっぱり四人ばらばらになったんやって」
「うん。わかるよ」

東京に出てきて十五年、
お互いの語尾やイントネーションに標準語がまざって、
どこの土地の言葉か不明瞭になっている。

「ああ、そうそう」
と言って、彼女が前の妻の名を口にした。
「子ども産まれたの知ってる?」
知っているわけがない。
「再婚したの?」
「したした。二年前かな。
 で、去年の十月に生まれた。男の子」
「去年の十月か。うちとちょうど2歳差やな」
「ねえ、どう?」
「どうって?」
「どう感じる」
「嬉しい。幸せでいてくれるなら嬉しい」

そうして僕らは四川だれの棒々鶏を食べ、
パクチーをのせたワタリガニを食べ、
つやつやした黒酢豚を食べた。
春の匂いがする夜だった。


2013年1月28日月曜日

スーパーマーケット

日曜の夜、仕事帰りに寄ったスーパーマーケットで、
一歳ぐらいだろうか、まだよちよち歩きの男の子が
興味津々、棚の間を歩きまわりながら、
ヨーグルトやらマヨネーズやら、
届くところの品々に、紅葉みたいな手を伸ばしている。
そのたびごと、
うしろについている心配顔の若いお父さんが、
さわっちゃだめ、持ちなさんなと注意するのだが、
男の子は訊いているような訊いていないような、
とうとう最後は500ミリのビール缶を両手で持って、
お父さんに正面向いて、どうだとばかり頭上に掲げた。
これには流石にお父さんも苦笑い、
それからベビーカーを押しているお母さんや、
夫婦のところへ遊びに来ているらしい
おじいさんとおばあさんも加わって、家族で大笑いとなった。
男の子は大いに得意、
彼が着ているコーデュロイの上着、
あれは老夫婦から孫へのプレゼントだろうか、
サイズは70か80、すぐにも着れなくなるだろうけど、
とても良いものに見えた。

僕が自分のビールをカゴに入れてレジへ持って行くと、
顔馴染みのパートのヨシダさんが、
その家族の様子に目を細めながら
「カワイイデスネ」
と、いとおしそうに言う。
ヨシダさんは日本の名字だが、
言葉に中国のアクセントがはっきりあって、
海を渡って嫁いできた人と思われる。
「ほんとにね」と僕も答えながら、
日曜の仕事の疲れも、いくぶん軽くなるような気持ちがする。

勘定を済ませて歩き出した先に、
3歳ぐらいの女の子を抱きかかえた若いお母さんが立っていた。
細いグレーのコートはどうやら仕事帰り、
延長保育に預けた娘をようやく迎えに行ったところだろう、
しかし女の子はどうにも不機嫌、
何をされても気にくわない様子で、
えんえん言いながら身をよじるから、
お母さんの持っているカゴが飛び出て通路をふさぐ。
それに気づいて、こちらに
「どうもすいません」と疲れた声で小さく言うので
「ちっともかまいません」
と、本当にそう思いながら答えると、
女の子はちょっと恥ずかしくなったのだろうか、
ぐずるのをやめて、こちらをじっと見ていた。

いとおしさもわずらわしさも、
みんなこどもがくれるものだ。
前はそうでもなかったが、今はそうだ。
顔を見たくて、急いで帰った。


2013年1月6日日曜日

雪国

雪国は今まで何回も読んでいる小説で、
何回も繰り返し読むということは
それだけ強く惹かれるものがあるということなのだが、
惹かれるからと言って、じゃあ好きかと訊かれると
好きというのは正直ためらわれる。後ろめたいからだ。 
確かに文章は呆れるほど美しく、
日本語表現の極北と言っていい。
そして、そのような極端に美しい文章で何が書かれているかといえば、
『美しいっていうのは、こういうことだよ』
ということの過剰なまでの例示であり、
その主要な部分は、『女という存在の美しさ』についての叙述で占められる。 
とりわけ強い印象を受けるのは、
このことを語るにあたって川端康成が
女という存在を、
徹頭徹尾『人』ではなく『モノ』として扱っているように見えることだ。
女の真剣な生き様や哀しみの発露を、
それこそ『美術品』として、微に入り細に入り『鑑賞』する態度である。

『人のモノ扱い』、これは
西洋近代(モダン)の価値観からするとまぎれもない悪徳である。
だが、悪徳だからこそ強烈な魅力を発散することもまた事実で、
そこに後ろめたさが生まれる。
ここあたり、フランス革命期にマルキ・ド・サドが激烈に嫌悪された理由と
本質的に似ているところがある。
つまりは行儀の悪さへの憧れ、不健康な食べ物への渇望であり、
川端の場合、サドとの違いは、
非常に丹念に砂糖がけされていることだけだ。
このような『人のモノ扱い』を一例とする
『前近代=プレモダンの背徳』を通奏低音にしたやりかたは
現在に至るまで枚挙に暇が無く、
その後ろ暗い訴求力は、多くの人々を惹きつけ続けている。
それはたとえば村上春樹の諸作品の中にも色濃くあるし、
たとえばファイブスター物語のヒロインが人造人間であることもそうだし、
広く言えば、
砂糖がけをさらに徹底されて、『萌え』という概念の一部にもなっている。
きれいなところだけ抽出するということは、
つまり汚いところは全部捨てるということで、
人に対してそれをするには、モノとして扱うしかない。
そのような残酷を完全にやりきっているという点で、
雪国は再読のたびに感心する小説だ。
だが好きというのは、やはりためらわれる。
並外れて異常だ。
並外れて欠落している。
しかしそのように巨大な欠落こそが、才能なのだと強く感じる。

2012年12月30日日曜日

明け暮れ

今年も結局、自分の中のよくわからないものと争って
終わり無く消耗することに明け暮れた。
パニック、失語、憂鬱と不安と希死念慮、
そしてそれらすべてに対する恐怖の波濤が常に頭のなかにある。
なぜあるのか?なぜ無くならないのか?
内側だけで疲れ切ってしまうなんて、
あまりに不公平が過ぎると思わずにはいられない。

だがなんとか今年も仕事を失わず、
不満足だが、なんとか生きた。
来年も、こうして生きていくだろう。
生きていかなければ死んでしまうし、
死ぬわけにはいかないからだ。
深夜、家に帰ると、
息子のお絵かきボードに妻がおつかれさまと描いていた。
寝室で、二人の顔をしばらく眺めた。