2013年10月3日木曜日

手をつなぐ

三人で散歩に行った帰り、もう歩けないと道に座り込んで、
抱っこは無いよと親が先に行きかけるのを泣きながら追いかけて、
まあでも、どこかで抱っこしないとしょうがないなと
こちらが思っていたら、
おもむろ、妻と手をつないで、結局最後まで歩いた。






息子は、苦手なことがいろいろある。
そのひとつが親と手をつないで道を歩くことで、
だからこんな普通のことだがとんでもなく貴重に思えて、だから僕は写真を撮る。


春、息子が自閉症と診断された時は、目の前が真っ暗になるような気がした。
受け入れるしかないと頭でわかっていても、やはり受け入れ難かった。

受容。
受容とは、葛藤を制御することだ。

たとえば息子と同じくらいの子どもが、
多くの言葉を使って親と会話しているのを街で見かけるたび、
うちの子はどうして話せないのだろうと、
身を削られるような思いにとらわれる。
そんなふうに思っても何にもならないと自分に言い聞かせても、
どうしても思わずにいられない。
人並みであってほしいのだ。普通であってほしいのだ。
つまらない? いや、つまらなくなんてない。
だからせめて、そういう物思いを認めて、見つめて、制御する。
それが僕にとっての受容だ。


とはいえ、ようやく覚悟も決まってきた。
何があっても、家族を護る。
もういちど春が来る頃には、新しい子も生まれてくる。
いろんなことと、しっかり向き合っていきたい。


2013年3月25日月曜日

四人

「猫がいるんよ、うちに」
と、友達が言った。
「猫?」
「そう、ショートヘア」
「何歳?」
「5歳」

その夜、彼女が誘ってくれて、
東京タワーの近くにある中国料理の店で食事をした。
会うのは三年ぶりだった。

「それがね、前に一緒に住んでたひとの猫やねん」
「ほう」
「で、別れるときにね、猫をくださいと
 だめもとで言ったんやけど、これがあっさりオーケーで」
「うん」
「驚かない?」
驚かないな、と僕は思った。
「俺が誰かと住んでて猫を飼ってて、
 別れるときに猫をください言われたら、あげると思う」
「あっさり?」
「あっさり」
「そういうのって、変じゃない?」
「変じゃない」

前段、店に向かう路地で、
前を歩いている細身の黒いコートが目に入った。
姿勢が良くて、後ろ姿ですぐに彼女とわかった。

「仕事の帰りがいっつも遅かってん、そのひとが」
「うん」
「で、夜ね、いっつもベッドの端にいて」
「猫が?」
「猫が。ドアのほう向いて待ってるの。
 彼が出てったあとも、しばらく毎晩そうやってしてた」

大学時代、彼女と僕と、
彼女の当時の恋人と僕の前の妻は
京都の国際交流団体のボランティアで同期だった。
四人一組で、何かとつるんでいた。

「猫を残して出て行く」
と、僕は言った。
「それで、どこかで似た猫を見かけたとき、
 きみのことを思い出すことがあるかもしれない」
「彼が?」
「彼が。
 今どうしているだろうか、
 あの猫と暮らしているだろうか。
 男はそういうところあるよ」
「女は無いわあ、そういうの」
「そうやろうね」

大学時代、四人で何をしただろう。
サマーキャンプのボランティア部屋で、どうしていただろう。
僕と彼女がいつも何やら悪だくみで、
ひそひそ話して、げらげら笑って、
それを大概、彼女の恋人と僕の前の妻が見ていた。
彼らはどんな顔して見ていただろう?

「あなたたちが結婚したでしょう。あれ何歳?」
「二十六歳」
「ちょうどそのころ、私と彼はだめになって」
「そうね」
「やるせなかった。
 どうしてそっちはそうで、こっちはこうなのかって」
「正直やね」
「正直よ。で、離婚したやん。あれ何歳?」
「三十一歳」
「いい言葉が見つからないけど・・・
 そうね、納得したんよ」
「納得?」
「やっぱり・・・そうね、やっぱり。
 やっぱり四人ばらばらになったんやって」
「うん。わかるよ」

東京に出てきて十五年、
お互いの語尾やイントネーションに標準語がまざって、
どこの土地の言葉か不明瞭になっている。

「ああ、そうそう」
と言って、彼女が前の妻の名を口にした。
「子ども産まれたの知ってる?」
知っているわけがない。
「再婚したの?」
「したした。二年前かな。
 で、去年の十月に生まれた。男の子」
「去年の十月か。うちとちょうど2歳差やな」
「ねえ、どう?」
「どうって?」
「どう感じる」
「嬉しい。幸せでいてくれるなら嬉しい」

そうして僕らは四川だれの棒々鶏を食べ、
パクチーをのせたワタリガニを食べ、
つやつやした黒酢豚を食べた。
春の匂いがする夜だった。


2013年1月28日月曜日

スーパーマーケット

日曜の夜、仕事帰りに寄ったスーパーマーケットで、
一歳ぐらいだろうか、まだよちよち歩きの男の子が
興味津々、棚の間を歩きまわりながら、
ヨーグルトやらマヨネーズやら、
届くところの品々に、紅葉みたいな手を伸ばしている。
そのたびごと、
うしろについている心配顔の若いお父さんが、
さわっちゃだめ、持ちなさんなと注意するのだが、
男の子は訊いているような訊いていないような、
とうとう最後は500ミリのビール缶を両手で持って、
お父さんに正面向いて、どうだとばかり頭上に掲げた。
これには流石にお父さんも苦笑い、
それからベビーカーを押しているお母さんや、
夫婦のところへ遊びに来ているらしい
おじいさんとおばあさんも加わって、家族で大笑いとなった。
男の子は大いに得意、
彼が着ているコーデュロイの上着、
あれは老夫婦から孫へのプレゼントだろうか、
サイズは70か80、すぐにも着れなくなるだろうけど、
とても良いものに見えた。

僕が自分のビールをカゴに入れてレジへ持って行くと、
顔馴染みのパートのヨシダさんが、
その家族の様子に目を細めながら
「カワイイデスネ」
と、いとおしそうに言う。
ヨシダさんは日本の名字だが、
言葉に中国のアクセントがはっきりあって、
海を渡って嫁いできた人と思われる。
「ほんとにね」と僕も答えながら、
日曜の仕事の疲れも、いくぶん軽くなるような気持ちがする。

勘定を済ませて歩き出した先に、
3歳ぐらいの女の子を抱きかかえた若いお母さんが立っていた。
細いグレーのコートはどうやら仕事帰り、
延長保育に預けた娘をようやく迎えに行ったところだろう、
しかし女の子はどうにも不機嫌、
何をされても気にくわない様子で、
えんえん言いながら身をよじるから、
お母さんの持っているカゴが飛び出て通路をふさぐ。
それに気づいて、こちらに
「どうもすいません」と疲れた声で小さく言うので
「ちっともかまいません」
と、本当にそう思いながら答えると、
女の子はちょっと恥ずかしくなったのだろうか、
ぐずるのをやめて、こちらをじっと見ていた。

いとおしさもわずらわしさも、
みんなこどもがくれるものだ。
前はそうでもなかったが、今はそうだ。
顔を見たくて、急いで帰った。


2013年1月6日日曜日

雪国

雪国は今まで何回も読んでいる小説で、
何回も繰り返し読むということは
それだけ強く惹かれるものがあるということなのだが、
惹かれるからと言って、じゃあ好きかと訊かれると
好きというのは正直ためらわれる。後ろめたいからだ。 
確かに文章は呆れるほど美しく、
日本語表現の極北と言っていい。
そして、そのような極端に美しい文章で何が書かれているかといえば、
『美しいっていうのは、こういうことだよ』
ということの過剰なまでの例示であり、
その主要な部分は、『女という存在の美しさ』についての叙述で占められる。 
とりわけ強い印象を受けるのは、
このことを語るにあたって川端康成が
女という存在を、
徹頭徹尾『人』ではなく『モノ』として扱っているように見えることだ。
女の真剣な生き様や哀しみの発露を、
それこそ『美術品』として、微に入り細に入り『鑑賞』する態度である

『人のモノ扱い』、これは
西洋近代(モダン)の価値観からするとまぎれもない悪徳である。
だが、悪徳だからこそ強烈な魅力を発散することもまた事実で、
そこに後ろめたさが生まれる。
ここあたり、フランス革命期にマルキ・ド・サドが激烈に嫌悪された理由と
本質的に似ているところがある。
つまりは行儀の悪さへの憧れ、不健康な食べ物への渇望であり、
川端の場合、サドとの違いは、
非常に丹念に砂糖がけされていることだけだ。
このような『人のモノ扱い』を一例とする
『前近代=プレモダンの背徳』を通奏低音にしたやりかたは
現在に至るまで枚挙に暇が無く、
その後ろ暗い訴求力は、多くの人々を惹きつけ続けている。
それはたとえば村上春樹の諸作品の中にも色濃くあるし、
たとえばファイブスター物語のヒロインが人造人間であることもそうだし、
広く言えば、
砂糖がけをさらに徹底されて、『萌え』という概念の一部にもなっている。
きれいなところだけ抽出するということは、
つまり汚いところは全部捨てるということで、
人に対してそれをするには、モノとして扱うしかない。
そのような残酷を完全にやりきっているという点で、
雪国は再読のたびに感心する小説だ。
だが好きというのは、やはりためらわれる。
並外れて異常だ。
並外れて欠落している。
しかしそのように巨大な欠落こそが、才能なのだと強く感じる。

2012年12月30日日曜日

明け暮れ

今年も結局、自分の中のよくわからないものと争って
終わり無く消耗することに明け暮れた。
パニック、失語、憂鬱と不安と希死念慮、
そしてそれらすべてに対する恐怖の波濤が常に頭のなかにある。
なぜあるのか?なぜ無くならないのか?
内側だけで疲れ切ってしまうなんて、
あまりに不公平が過ぎると思わずにはいられない。

だがなんとか今年も仕事を失わず、
不満足だが、なんとか生きた。
来年も、こうして生きていくだろう。
生きていかなければ死んでしまうし、
死ぬわけにはいかないからだ。
深夜、家に帰ると、
息子のお絵かきボードに妻がおつかれさまと描いていた。
寝室で、二人の顔をしばらく眺めた。





2012年10月1日月曜日

家族

妻は五人きょうだいの長女である。
妻の母には妹が一人いて、彼女も四人の子を産んだ。
つまり僕の義理の祖父には、九人の孫がいる。

彼は二年前、僕の息子が生まれた日に亡くなった。
初めての曾孫だったが、会うことはなかった。
その三回忌となり、長野立科の墓を参った。
墓は本家の近く、稲穂の中にあって、
よく手入れされた風よけの灌木に囲まれていた。
代々の血族が眠る大きな墓だ。
初代の命日は天保年間だった。

母の妹は若くに病を患って亡くなってしまい、
彼女の夫は再婚した。
だから法事に来るのは、
四人の子どもたちとその父親、
そして、その後添いの奥さんだ。
妻の実家の人たちは全般、酒を飲まないが、
この奥さんは滅法強い。
僕も強くはないが好きなので、
真っ昼間から二人だけ、ビールをこんこん飲む。

彼女と夫、そして四人きょうだいの長男が
その日のうちに東京へ帰るという。
僕も次の日が仕事なもので、
妻と息子を残して戻る予定だったから、
車に同乗させてもらうことになった。
長男が運転、父親が助手席で、奥さんと僕が二列目だ。
四人のうち三人は、法事の主役と血のつながりが無い。

関越道の横川サービスエリアで、
奥さんが「晩ごはんに」と、名物の釜飯を買ってくれた。
自宅に戻って食べるとつくづく旨く、
妻に電話で話すと
「その釜飯、
 子どものころおじいちゃんと出かけたとき、
 いつも食べさせてもらったものよ。
 懐かしい」


不思議なものだなと、よい気持ちがした。


2012年9月16日日曜日

オーヘントッシャン

うちの実家はむかし、大阪の梅田で小さなバーをやっていて、
僕も東京に出るまでは
ちょくちょく顔を出しては
大人の男や女にまじってみるのが好きだった。
酒が飲みたくて行ったのではない、
せいいっぱい背伸びして、夜の空気を吸いたくてのことだった。

そのころはよく知らないまま
アーリータイムズあたりを飲んでいたが、
もちろん味などわからない、
うまいと思ったこともない。

東京に出てきて、
下北沢やら神楽坂やらに、ちょっと行きつけのところも出来て、
マッカランだボウモアだと知ったような顔をするようになったが、
なんだか格好つけていただけのことだ。

きのう、意外にも仕事が早くひけたので、
久しぶりにバーへ行ってみる気になった。
薄暗い階段を地下へ降りると、客は誰もいなかった。
どうしますかと言われて
なんとはなしにオーヘントッシャンを頼んだ。

ひとくち含むと強烈なアルコール
やっぱりウイスキーなんてろくなもんじゃない

ところがそのあと
燻した樽のにおいに体の中が満たされると
背伸びして飲んでいた昔が一気に思い出されて、ちょっと悪くない気分になった。

あの実家のバー
堂山町の雑居ビルの三階の奥
一階の揚子江ラーメンのトッピングの春菊
向かいのカラオケスナック
歌手になりそこねたマスターと、音大生のバイトがいた
出前してくれるお好み焼き屋のゲイの夫婦
にぎやかに話しているのに、なぜだかひっそりして見えた
あの街の夜は楽しかった


ウイスキーはうまいとはいえない
でも思い出を想起させるには良いらしい
ということは少なくとも、意味はあるということだ。

それはそうと、オーヘントッシャンはゲール語で
『野原の片隅』という意味らしい。
バーテンダーが教えてくれた。
なかなか詩だなと思った。


2012年7月30日月曜日

Don't Look Back in Anger

息子がどうやらギターを好きなので、
休日の食事どきなどにじゃらじゃら弾く。

先日、なんとなくやっているうちに
OasisのDon't look back in angerになり、
オアシスは妻にとっても思い出深いものだから
(高校時代カナダに留学した際、
 Morning Gloryをよく聴いていたそうだ)
久しぶりに歌ってみた。

いったい何について歌っているのか、
詩の意味は全然わからない。
しかし、やはり素晴らしく良い歌である。
たとえば冒頭の
"Slip inside the eye of your mind"
とか
サビ前の
"You ain't ever gonna burn my heart out"
とか、
カタカナで書けば
「すりぴんさいーでぃあいおびょーまーあいん」
「ゆーえいんえう゛ぁーごーなばんまーはあらあーああ」
て感じなのだが、
これを声に出して歌うと
なんだかよくわからないけど
とにかくすごく気持ちいい。

で、サビだが

And so, Sally can wait
She knows it's too late as we're walking on by
Her soul slides away
But don't look back in anger
I heard you say

一行目の"so""wait"と
三行目の"soul""away"が韻を踏んでいる。
これがもうとにかく、ものすごく気持ちいい。

ただ
何を歌っているのかは、やっぱり皆目わからない。
(サリーって誰だ)
作曲したノエル・ギャラガー自身、この詩について
「単なる言葉遊びで、意味など無い」などと言っていて、
・・・いやーそんなことはないでしょう、
そんなのカッコよすぎるでしょうと思うのだが、どうだろう。
本当にそうなのかもしれない。

重要なのは、
この詩が何を言っているのかさっぱりわからないのに、
全体としては
それこそ立ちのぼるように『切ない』ということだ。
『全体として』
青春の終わりとでもいうべきものが
過不足無く表現されているように強く思える。

荻原朔太郎は「月に吠える」の序文で
『すべてのよい叙情詩には、
 理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。
 これを詩のにほひといふ』
と書いていて、
この考えがまったく朔太郎オリジナルのものなのか、
それより前に誰かが言ったことなのか知らないのだが、
まったくもってこの『詩のにほひ』というやつが
Don't look back in angerには充満している。


僕はオアシスのライブを一度しか観たことがない。
2005年の秋、高校時代のバンド仲間が
「代々木体育館のチケットが4枚とれた。
 俺とヨメさんとおまえと、
 あとおまえが誰か誘って4人で行こう」と言うので、
それはいいねとほうぼう声をかけてみると、
どうしたものかその時にかぎってみんな都合が悪く、
最後に声をかけた、
当時ほとんど面識の無かった後輩の女の子が来ることになった。

さらに当日になって
今度はチケットを取った友人夫妻が来られなくなり、
結局、僕はほぼ初対面の
その女の子とふたりでオアシスを観たのだが、
その彼女が、いまの妻である。
あのとき、大声で合唱したDon't look back in angerは忘れがたい。


ロンドンオリンピックの開会式で
アークティック・モンキーズが演奏していたが、
「ここでオアシスが見たかったなあ」
と思ってしまったのはトシのせいだろうか。
(事実上)解散してしまったのは、実にもったいないことである。


2012年7月18日水曜日

強風

前は簡単に出来ていたことが
今は簡単に出来ない
前と同じことをするために
前の何倍かの労力を要する
きみの頭の中は常に強風
そのうちまた
前と同じように出来るようになるだろうと
思ったり願ったりしているが
出来なくなってから
もう五年以上経っている
きみはそろそろ
状況を受け入れなくてはならない
前と同じように出来るようにはならない
元には戻らない
きみの頭の中で起きたこと
きみの頭の中で起きていることを
ひとに伝えるのは難しい
ほとんど不可能と言っていい
僕は今ここに
このように座っていますが(立っていますが)
実はいま僕の中ではとても強い風が吹いていまして
あなたの声を聴き取るだけでも一苦労なのですと
そのように言ったところで
誰がわかると言うのだろう?
わかってもらえないと責めてはいけない
わからないと言ってくれるひとの
率直さに感謝すべきだ
きみはきみの中の強風を受け入れるべきだ
凪ぐのを待っていても無駄なこと
この強風の中で
聴き取り
話し
息をするやりかたを
そのできるだけうまいやりかたを習得していくしかない
そのように受け入れて
なんとか御していくべきだ
わかってほしい

2012年6月29日金曜日

ベージュの絨毯

夜勤明けで家に帰って
薬を飲んで寝た
夜に起きて
薬を飲んでまた寝た

夢を見た

若いころの自分と
若いころの友だち何人か
ベージュの絨毯が敷かれた部屋でだらだらしている
蛍光灯がついている
昼か夜かわからない

ふと気づくと
となりの女ともだちは猫だった
つやつやした銀の毛並み
体を動かすと
風が稲穂をわたるように
光の沢が美しい

ふかふかした腹に
顔をうずめて抱きついた
拒まれるかと畏れたが
彼女がふうと息をして
むしろちからを抜いたので
すっかり気をよくしてますますもぐりこんだ

ほかの女ともだちの声がした
「好きになっとるの?」

猫のともだちが言った
「好きになってきたわ」

僕はいよいよ気をよくして
「もうだめや、なんもできへん」

すると猫のともだちは
「だめやない、しっかりしなさい」

その途端、僕はひとりになって
ごうごう移り変わる景色に浮かんだ
神社の長い階段
河川敷のシロツメクサ
あの交差点のケヤキの並木
学生食堂の唐揚げ冷麺

そしてあのベージュの絨毯の部屋で
女ともだちがひとり
プロジェクタを壁に投射して映画を観ていた
女ともだちは
もう猫ではなかった

映画の中では
白いTシャツのやせた少年が
左の肩に唐草模様のストラップをかけて
うつむいている
あれはギターを弾いているらしい

少年は僕のように見えたが
僕ではなかった
そのまま夢がさめるにまかせた