伯父が急に亡くなり、京都での告別式に参列した。実感がわかない。
八十三歳なら、ままあることとは思うけれど。
浜崎満は母の兄で、俳優だった。一人芝居と長く取り組み、
バリー・コリンズの大作「審判」をライフワークとして、二百数十回上演した。
戦時下のカニバリズムを主題としたモノローグドラマで、
私は三回観たが、いろいろと理解できたのは最後に観た時、
自分が二十歳の頃だったかと思う。
ハコは京都府立芸術文化会館、鬼気迫るものを感じて、
上演後の楽屋で我知らず敬語になってしまい、本人にいぶかしがられたのを憶えている。
2003年、一連の実験映画で知られる高林陽一監督の「愛なくして」に出演し、
東京ではポレポレ東中野で上映された。
東京ではポレポレ東中野で上映された。
ちょうどその頃、自分も筑紫哲也NEWS23の仕事を通じて
ポレポレの支配人・大槻貴宏氏と知り合い、よく話題にのぼった。
伯父は芸術に生きた人であり、生活者としては生涯無能だった。
寝食を人に頼るその生き方に反発を覚え、この十年はまるで会わなかった。
しかし、今日の精進落としで長年の仕事のパートナーである
遠藤久仁子氏(「愛なくして」のプロデューサーでもある)から、
「俺は駄目な人間だ」と葛藤していたとの話を聞き、その真面目さと不器用さを思った。
常に自分を優先し尽くした八十余年だったが、
どうあってもそのようにしか生きられない人だったのだろう。
私の父と母は、伯父を介して知り合った。
父は大阪の劇団・関西芸術座の創立メンバーで、結核を患い俳優を辞めたあと、
梅田の劇場・オレンジルームの支配人などをした。
母と出会ったのは演劇関係者のパーティー、
母は伯父に頼まれ、たまたま手伝いに来ていたのだという。
私の記憶の中の父と伯父は、
鍋をつつき酒をあおりながら、四六時中芸術論をたたかわせていた。
血の繋がった実の兄弟のようだった。二人とも若く元気だった。
古いアルバムを開くと、
結婚した当初、今の私よりも若い父と母が笑っていた。