2021年4月16日金曜日

ダッコ

金曜の朝、駅に向かう道で若い夫婦が立ち往生している。
幼い息子が抱っこをせかんで泣いているからだ。
ダッコ、ダッコとすがりつく子は二歳と三歳の間くらい、
お母さんは「たあちゃん歩けるでしょ、歩きましょう」と繰り返し、
追い抜きざまに見たお父さんの顔は、金曜の朝らしくぼんやりとしている。

追い抜いてから、そこそこ距離が開いても、
子供の訴えはどんどん声高になるばかりで、
耳から一向に遠ざかってくれない。
「ママダッコ!ママダッコ!!」
どうやらお父さんが抱っこしようとしたが拒まれたらしい。
後ろに娘を乗せた男の自転車が、今度は自分を追い抜いて行った。
「あの子おんなじクラス?」「そうだよ」

育休を取って当時三歳の長男と出歩いていた頃、
あのお母さんとそっくり同じことを言っていた。
どうしても歩いてほしくて、次の電柱まで歩けと言い、
そうして無理やり歩かせ、じきに埒があかなくなり、
電柱一本向こうの息子と睨み合った時の、彼の顔を今でも憶えている。
ぼくのこと、すきなの?きらいなの?

誰の気持ちもよくわかる。
大人も子供も、目前のことに対して十分過ぎるほど誠実で、
ただそれだけのことなのだ。よそが口を出す話ではない。
それでも、重々判っているけれど、
あのお母さんに少しの間だけ乗り移って、
その子を抱いて保育園まで行ってあげたかった。




2021年4月1日木曜日

ヤングケアラー

若い時分に書いた文を読み返してみると、
全般、恥ずかしいという気持ちしか湧かないのですが、
十代の頃に介護した祖母についての文だけは、
本当のことが(叩きつけるように)書けている感じがします。

昨今、ヤングケアラーという言葉をよく耳にするようになりました。
当時の私も今にして思えば典型的なヤングケアラーあり、
その疲弊によって、後の人生が些かややこしくなってしまったことは否めません。
今、使命感をよすがに日々を何とか過ごしている若い介護者の、
その後の健やかさを担保するために、
何か出来ることはないだろうかと思います。

*****

僕はあなたに感謝します
小さくふにゃふにゃな僕を お湯で洗ってくれてありがとう
そのふしくれだった手の温度がなくては
三歩と歩けず立ち止まってしまう僕を
外へと連れ出してくれてありがとう
線路わきの金網ごしに
いつまでも 電車が走るのを見せてくれてありがとう
なんにも知らない僕をとなりに座らせて
お経の読み方を教えてくれてありがとう
おたふくみたいな顔をして笑わせてくれて
ありがとう
おみやげにプラスチックの日本刀を買ってくれて 
ありがとう
でも
僕はいつのまにか 線路わきで電車を見なくなりました
お経の読み方も忘れてしまいました
プラスチックの日本刀も なくなってしまいました
僕は すっかりぼけてしまったあなたのことを
どなりつけ
あざけり
さげすんだ
眠ってくれないあなたの前に土下座して
お願いだから寝てくださいと 泣きながら頼んだとき
あなたは繰り返し僕に言った
「悲しませてすまないけれど、
 あたしが何をしたって言うんだい?」
僕はさらに激しく泣きました
僕は お願いだから寝て下さいと泣いて頼みながら
心の中では
お願いだから死んでくださいと 叫んでいたのです
ごめんなさい
あなたが死んだときは 涙ひとつぶ流さなかったのに
今ごろになって ごめんなさい
僕はあなたに あやまります