2019年12月1日日曜日

私のようだ

 子供達の寝かしつけの最中
「ねえ、橙が泣いているのよ」
と、妻が言った。
右隣の次男を見ると確かに、
両手で目を覆って、口をへの字にひん曲げている。

うちでは本来、長男の青と私、次男の橙と妻の組み合わせで寝ているのだが、
寝かしつけの時は長男も「ママそばにいて」と強く主張するので、
彼らが寝入るまではたすき掛けで、
長男と妻、次男と私で横になることが多い。
別段、次男のほうがそれを嫌がる様子は、今まで無かったのだが。

頭を撫でながら
「ママがいいか?」
と訊くと、うなずく。

「パパよりママがいいか?」
「・・パパよりママがいいよ」
「なかなか残酷なことを言う」
すると向こうの妻が
「言ってくれなきゃわからないよ」
言えないよなあ、と思う。
「言えないよなあ、わかるよ」男だからね。

程なく青が寝入ったので、妻と交代しようと起きた。
妻が橙に
「パパにありがとうって言いなよ」
「・・ありがと」
「いいさ」

これが男親というものかなあ、と、自分の寝床に入りながら思う。
悲哀なのか醍醐味なのかわからない。
でもこういう気分は嫌いじゃない、男だから。

私は家族みんなを愛しているが、今はとりわけ、次男のことが気にかかる。
君はにいにのこと、よくわかっているんだね。
それで我慢して、我慢しきれなくて、まるっきり私のようだ。

泣きたい。



2019年11月9日土曜日

ちがうみち

 朝、送迎バスの停留所へ向かう道、
いつもは真っ直ぐ進む四つ角で、先を歩く長男の青が突然左へ折れた。
万事ルーティンにこだわる自閉症児なのに、
どうしたことかと驚いて追いかけたが、本人は別段惑う様子も無く、
少し遠回りしてみながら目的地へ向かう、それだけのことのようだった。

バス停の目前の信号を、長男が渡ったところで赤になった。
すると対岸の私に振り向いて、誇らしげに

「アオくん、チガウミチイッタ!」

頭の中をびゅうっと風が吹き抜けたように感じ、
彼が三歳だった頃、育休中の記憶が蘇った。
毎日の散歩、決まった順路を、一軒ごとに門扉をいじりながら進み、
少しでも違えば泣き叫んで道に転がっていた子だ。
同じ子が六年後、
自分からすすんでルーティンを崩し、それを楽しんでいる。

「すごいなあ」と小さく口にしたあと、
行き交う車の音に負けないように

「すごいなあ青、すごいぞ!」

語尾が少し震えた。
満面の笑顔を見ながら、仕事に向かうのが惜しかった。


2019年4月5日金曜日

疎遠

四月五日は母の誕生日で、彼女は七十九歳になった。
郷里の尼崎で、一人で暮らしている。

私は大変な難産の末に生まれたひとりっ子で、
家族は七十年代後半から九十年代前半にかけて、
親子三人に母方の祖母を加えた四人暮らしだった。
私が子供の頃、母は折に触れて
「男の子は大きくなったら独立しなきゃ。いつまでも親の脛齧りはみっともないわ」
と口にしていた。

高校三年の時に父が死に、大学一年の時に祖母が死んだが、
私は母の口癖を真に受けていたので、
大学二年の時、一人暮らしをすると彼女に告げた。
「割のいいバイトを掛け持ちしているから、仕送りの必要は無いよ」

母は一瞬、虚を衝かれたようだったが、
みるみる鬼のような形相になり
「お前までわたしを置いていくのか」
と叫ぶように言った。
私は非常に混乱したが、何とか認識を新たにした。
「この人はもう私の保護者ではないのだ。私がこの人を保護しなければならないのだ」
私は諦め、卒業まで、尼崎から京都へ通った。

今にしてみれば、当時の母の気持ちは判る。
だが、彼女は決してそのように反応するべきではなかったし、
同時に、私も決してそのように応じるべきではなかった。
母は私に、死んだ夫を投影するようになった。
私は母から離れるため、東京での就職を望んだ。

その後も色々なことがあって母とは決定的に疎遠になり、
そして今に至っている。
生活費の仕送りをするだけだ。
この先、彼女が介護を必要とする状況になっても、私は同居するつもりが無い。
しかし、彼女を「大人になりきれなかった人」と捉えて、
かわいいと思うことくらいなら出来るかもしれないと、最近は考える。
不遜な物言いだろうか。

朝、最寄り駅に向かう途中で、
母に「誕生日おめでとう」とメールを送った。
すぐに「ありがとうね」と返信が来た。
語尾には、桃色に笑った絵文字が付いていた。




2019年2月3日日曜日

古い荷物を整理していたら、実家のバーの写真が出てきた。
ひょっとすると二十年くらい前だろうか、もう亡くなった常連の姿もある。

屋号は「駅」と言って、大阪北区堂山の雑居ビルの三階にあった。
コの字のカウンターだけの店で、
父が死んでからの十数年は、母がひとりで切り盛りした。

この写真は誰が撮ったものか判らないが、
夜の酒場の楽しさが匂い立って、いい気分にさせてくれる。
二十代の自分の顔に映る
「もう坊やじゃないぞ」という気概も微笑しい。

粋な大人の振る舞いかたと、酒に飲まれる格好悪さの、
両方教えてくれた場所だった。