2022年8月31日水曜日

同じこころ

八月三十日、テレワーク。
長男の青は九時に障害児向けの歯科検診→そこから発達支援デイサービス、
次男の橙は十時からBOP(小学校のスペース開放)。
妻とは「青と母親で歯医者からデイ、橙と父親でBOP」と打ち合わせていたが、
八時を過ぎて橙が
「歯医者に自分もついていく。そのままBOPへ行く」と言い出した。
なるほど、ママの自転車の後ろで楽々移動というわけか、妻は苦労だが・・
青は母と二人がいいのでぶうぶう言うけれど
「仕方ないだろ。仕方ないことはあるよ、君にだって」と言ったら、
予想外にぐっと黙った。

ところが出がけになって、
橙が「やっぱり歯医者にはついていかない」ことになったという。
どうしてかと妻に訊くと
「自転車でBOPに送ってほしいだけでしょって訊いたら、そうだって。
 十時より遅くなってもいいらしいので、
 いっぺん帰ってきてから連れて行くわ」
青は再びニコニコ、「ハイシャがんばるね!」と言い残して玄関を出る。
一方の橙はリビングの床に寝そべり、あっちのほう向いて、
「なるべく早く帰るからねー」という妻の呼びかけにも
「んー」と教科書通りの生返事である。

妻と長男が行ったあと、橙の横に座って、顔を覗いてみた。
泣いていた。
「どんなこと考えてた?話してみてほしい」
「・・ついていけば早く、ラクしてBOPに行けると思ったんだ」
「そうだね。パパとなら歩きだもんな」
「でも」
「うん」
「青くんとふたりのほうが、ママはしんどくないから・・」
とそこまで言ったところで、もう一度むせるように泣いた。
自分の我儘に対するバツの悪さと、
ただママと一緒にいたいという単純な気持ちと、
そのどちらも言葉に出来ないけれど、
ない交ぜになって小さな背中から立ちのぼり、彼をたまらなく愛おしく感じ、
「えらいねおまえ」と言って抱きしめた。
抱きしめながら、驚いたことに自分のほうでも激しく涙が溢れてきて、
私の嗚咽にびっくりした息子が顔を上げ、腫れた目でこちらを見た。
なんとか「すまん」とだけ言った。

朝九時のリビングで、私が抱きしめているのは息子だが、
同時に、かつて子供だった自分も抱きしめているような感覚に襲われた。
こういうことがとてもたくさんあった、
その時わかってもらいたかった、えらいねって言ってもらいたかった、
でも言葉には出来ない。
男親だから、おなじような心を持った同士だから、
僥倖のようにわかってあげることができたのだ。
そのあと、ふたりでティッシュを取ってお互いに渡して、
お互い涙を拭いて、もう一度抱き合った。



2022年5月22日日曜日

父を嗤う

何か月かに一度、週末に太宰を音読する。
だいたい富嶽百景、駆け込み訴え、桜桃の順で、
四半世紀以上そうしているし、これからもそうするだろうから、
徒労以外の何物でもないとは思うが、
死ぬまでには諳じることができるかもしれない。

太宰を読むときはいつも、父のことを思い出す。
私が最初に嵌まった中学の時分、
まだ生きていた父は、明らかに嬉しさを押し殺した仏頂面で
「遅かれ早かれ、太宰に嵌まるのはすごく解るで。
 せやけど大人になってまで引きずるもんでもないがな」と言っていた。
だが私は既に四十七歳、人の親となって久しいけれど、
性懲りも無くいまだに太宰を読んでいる。
それは
「ロックなんて、いつまでもやるもんじゃねえ」
と自分で意気がっていたおっさんどもが、
老いさらばえてなお、練習スタジオへいそいそと集まるさまと似ている。

富嶽百景で真人間になろうと結婚をし、
駆け込み訴えではイエスを裏切るユダの心理を鮮やかに描いた口述を、
その妻に書き留めてもらって、絶好調の太宰はしかし、
桜桃では長男の障害とどうしても向き合えず、
逃げた先の酒場でサクランボを不味そうに食べている。

先生、あなたは逃げたが、私は逃げませんでしたよ、
と上から独りごちる時、同時に頭に浮かぶのが、
自閉症児の長男のことよりは、むしろ親父のことなのだ。
彼が人生を通じて逃げたこと、向き合えずにしまったこと、
民族、血脈、それらに起因する抑鬱。
太宰のきらびやかな文才は、父と私を繋ぐ触媒だ。
私は太宰を読みながら、大人になれずに死んだ父を嗤う。
嗤うが、とても懐かしい。