2016年11月3日木曜日

車窓

祝日の午前、用事も無かったけれど
長男と二人で外へ出た。
最近はすでに次男が精神発達の面で
長男を追い越しつつあり、
親のほうでも弟と会話する時間が増え、
それが言葉をうまく扱えない兄を
悲しませているきらいがあるので、
何とか機嫌を直してもらおうと思ったのだ。

行くあてもなく下りの京王線に乗って、
落ち着いたところで
「はまざきーあおくん」と声を掛けた。
「はーい」と答えて彼が手を挙げる。
たったこれだけのこと、
出来るようになるまで随分練習したなと思いながら、
息子可愛さがふつふつとこみあげ、
つい何回か繰り返してしまう。
はまざきーあおくん、はーい。

するとそれまであちらを見ていた青が振り返って

「はーざきーぱぱー」

驚いた、虚を突かれたが、
何とか「はーい」と返した。
手は挙げ忘れた。

「すごいねー初めてだねー。
 はまざきーあおくん」
「はーい。
 はーざきーぱぱー」
「はーい」

ああ感動させてくれるなあ、
でもまあ泣きはしねえよと外を見たが、
やっぱりぐっと来て口を押さえた。

もちろん嬉しい、でもそれだけじゃない。
車窓越しの景色のように、
時が過ぎていくことの強さを思った。



2016年9月7日水曜日

そばの思い出

平日の昼食はだいたい立ち食いそばで済ます。
電車通学になった十五の春以来、
のべ何杯食ったか見当もつかない。
プッチンプリンがプリンではないように、
立ち食いそばも蕎麦ではない。
別の食べ物で、両方好きだ。

就職して東京に出てきたころ、
当時の恋人と立ち食いそば屋に入ったことがある。
彼女はそれまで一度も食べたことがなく、
一口たぐって
「何これ、まずいね」と言った。
蕎麦切りと思って食えばそりゃ不味い。
お嬢様育ちにオー・ヘンリーの
「都会の敗北」を気取った自分が悪かったのだが、
その人とは結局、うまくいかなかった。

「思い出の立ち食いそばは」と妻に聞かれた時、
割とすんなり
「長野塩尻の駅そば」と答えた。
京都での大学時代、
白馬で行われる合唱団の夏合宿に
青春18切符で向かう途中、
乗り継ぎの電車を塩尻で二時間待つ。
一年に一度しか食べない山菜そばの味が、
仲間と手持ち無沙汰のプラットフォームとともに
懐かしく思い出されたのだ。

すると妻が
「その駅そば、私も食べてたよ」と言う。
中学のころ、
実家の諏訪から松本の病院へ
定期的に通っていたことがあり、
付き添いのお母さんと寄っていたそうだ。
定番はコロッケそばだったという。

妻は私の五歳下で、
こちらが大学生のころ、
あちらは中学生だった。
今、くたびれた都会の男どもと並んで
コシの無い麺をすするたび、
あの時の自分の横に、
コロッケそばを食べている
しかめっ面の女の子がいなかっただろうかと考える。
いなかったに決まっているけれど、
そんな想像はとても楽しい。




2016年7月7日木曜日

Zabadak

「ザバダック」と耳にするだけで、
京都での大学時代を思い出す。
いわゆるヒット曲は全く持たないバンドだったが、
九十年代前半、
左京区東一条界隈のいろんな音楽サークル周辺で、
とにかく流行っていたことを憶えている。

合唱団の先輩に「遠い音楽」を貸してもらって気に入り、
四条烏丸の十字屋で、
当時の新譜だった「桜」を買った。
耽溺した。
はじめは上野洋子の歌声が目当てだったが、
次第に吉良知彦のギターに興味を引かれた。
日比谷野音のライブのVHS、
手元のアップを擦り切れるぐらい再生して
弾きかたを覚えた。

今朝、その吉良さんの訃報に接して、
自分でも意外なほどの衝撃を受けた。
昼休み、職場の窓際で
iPodのプレイリストを久しぶりに聴いた。
五つの橋、アジアの花、光の人、そして遠い音楽。
目の前のぎらぎらした商業ビルが現実感を失い、
二十年前の木陰の湿り気が蘇るように感じられた。
サークルボックスの入り口に座って
覚えたばかりのイントロを弾くと、
隣の同級生がひっそり声を合わせてきた。

それはまさに青春の1ページで、
それなり時は経ったにせよ、
今の自分と確かに地続きであると、
これまでも感じられていた記憶だった。
しかし吉良さんが別の世界へ旅立ったのと同時に、
その思い出もまた、
容易に辿れない別の世界へ遠のいてしまったような気がした。
それが悪いことだとは思わないけれど、
遠ければ遠いだけ、やはり寂しい。

56歳。
ロンドンパンクの人じゃあるまいし、
もっと長生きしてほしかった。
ご冥福をお祈りします。