2017年3月24日金曜日

介護

三連休で帰省した岡谷で、閉店した中華料理屋のドアに
「介護に専念のため廃業しました」という貼り紙を見て、
どうにもやるせない気持ちになった。
介護される家族は、そんなことを望んでいただろうかと。

十代の頃、アルツハイマーを患った祖母の介護をした。
父が入退院を繰り返し、母は夜の仕事に出ていたので、
学校から帰った後はほぼ私ひとりで看ていた。
「俺が全てを支えている」という自己陶酔で保っていたが、
本当のところ、下の世話も徘徊のケアも嫌で仕方なかった。
「うちへ帰る」と出て行こうとするのを押さえながら
「お願いだから死んでくれ」と口走って、そのあと泣いた。
祖母は
「どちら様かわからないけれど、迷惑かけてすいません」と言った。

それらの経験が私を強くしたかというと全く違って、
私は逆に弱くなった。
介護の終わりは結局家族の死であって、努力は成果に結びつかない。
そこに「看取り」と名を付けて
何がしかの気づきに接近できるケースなら幸運だが、
精神の疲弊にも不可逆な境目があり、不可逆に削られれば障害となる。
祖母の介護は、私の長い抑うつの原因となった。

介護の社会化、それは理想だ。
しかし現実的には、この先も無理だろう。
祖母を看取った母も数年後には八十になる。
母の介護で疲弊するのは御免だし、自分の介護で疲弊する息子も見たくない。
元も子もない話だが、金が大事ということだ。