2014年11月13日木曜日

三十年

長男が寝るのを頑強に嫌がって床をごろごろしているのに呆れて
「どうして子供は寝るのを嫌がるかね、こっちは一日寝てたいよ」
とひとりごちたら、
むかし父がそっくり同じことを
そっくり同じ調子で言っていたのを思い出した。
叱られると恐れて三十年前の私がごろごろをやめると、
見上げた父はしばらく目を合わせたあと、少し頬を緩めて笑った。

三十年後、長男は体をねじらせたまま、
思いつめた顔をしてこちらをうかがっている。
おかしくて笑うと、安心したように
また台所のほうへ転がっていった。




2014年10月1日水曜日

河を渡れ

夏の間じゅう、駄目な親だった。

長男の障害について、
自分が死ぬ時は道連れにするしかないとまで思い詰めた。
そのような思い詰めかたこそが、
家族を不幸せにしている元凶だった。

八年間服用していた向精神薬を、全てやめると決めた。
ベンゾジアゼピン依存から脱却する。

六月、主治医が薬を変えた際には
激しい離脱症状があった。
体中が激しく痛み、手足が震え、
学校のチャイムの音が二十四時間頭の中で鳴っていた。

薬を元に戻してもらい、
徐々に服用量を減らすことにした。
ピルカッターで錠剤を刻みながら、
「地に足つけろ、地に足つけろ」と念じた。

霧が晴れるみたいに意識が澄んできた。
霧をかけていたのは薬か、自分か。
たぶん両方なのだろう。

地に足つけろ、河を渡れ

大人になれ


2014年5月14日水曜日

遠足

発達支援デイサービスの遠足で、井の頭自然文化園。
ハムスターを膝に乗せる順番を、
長男一人だけ待てない。
泣き叫びながら柵を越えていこうとするのを
先生二人と一緒に押さえつける。
十五分ほど暴れ続け、職員から拒否され、
結局一人だけ、ハムスターに触れなかった。
一人だけ。

弁当の時間、食べさせる気が起きない。
見かねて先生が給仕する。

別の先生が隣に座って
「疲れましたか」
「はあ」
「良くなりますよ。出来るようになります、いろんなこと」
「ええ」
嘘だ。何もかも嘘だ。

電車で帰るのが億劫。
乗り換えでいつも暴れるし、
やっと最寄駅に着いても、そこから家まで
全ての門扉を回し、
全ての外階段に上り、
全ての植え込みに入り、
少なくとも一時間かかる。

タクシーに乗った。
後頭部が妙に火照り、だらだらと流れる汗が襟を濡らすが、
首から下は全身寒い。
最近はいつもこうだ。

ソラナックスを飲むと汗は止まる。
体も温かくなる。

早く帰って飲まねば。



2014年5月6日火曜日

デイサービス

発達支援デイサービスは本来親子分離だが、
いきなりは無理なので、当面同伴で参加する。
火曜と金曜、午前9時から午後1時まで。
早く分離して楽をしたいが、事を急いでトラブルになるのも怖い。

走り回っている長男を何とか椅子に座らせようとするけれど、
いつまでもうまくいかず、つい声を荒げてしまう。
長男があああと叫びながら玄関へ逃げる。
追いかけて引き留めると、下駄箱から靴を取ってこちらに投げつける。
カッとなって頭をはたくと、火が付いたように泣いて突っ伏す。

先生が来て、息子の背中をさすりながら
「大丈夫大丈夫」
何が大丈夫なのだろう?
「お父さん、靴を投げるのもひとつの意思表示です。
 何も表示できないよりずっとマシです」
「叩いてしまいました。いけなかったですよね」
「それは仕方無いですよ。悪いものは悪い」

昼食時、妻が詰めた弁当を食べさせる。
塩昆布をのせたごはんと卵焼き。これしか食べない。
隣の子を見ると、具の無いケチャップライスだ。
あれよりはいい。

スプーンを三回ほど口に運んだところで、席を立って遊び出す。
先生がすぐに
「青くん、もうごちそうさま?」
反応が無いと
「はい、ごちそうさまね。お父さん、お弁当しまってください」
「戻ってきたらまた出しますか」
「いえ。席を立ったら食事はおしまいです」
あとは泣こうが喚こうが覆らない。
厳しい。

ところがその厳しい先生たちに、
長男が急速に心を許しつつあるのがわかる。嫌でも。
時折見せる花のような笑顔、
あれを私に向けることはない。

心穏やかでいられない。
何が違うのか。




2014年4月23日水曜日

可哀想

障害を持つ息子が可哀想なのではなく、
障害を持つ息子を持つ自分が可哀想なだけなのだ。
浅ましいけれどそれが私の心の現実であり、
このままでは決して前には進めない。

もっと厳密な覚悟が必要だ。
そして、必ず前に進む。

彼がひとりで服を着替え、
ひとりで食事し、
ひとりで排泄し、
一定の時間着席でき、
そして、言葉による意思疎通が多少なりとも出来るようにする。
きっとそうする。



2014年4月15日火曜日

四月

長男と朝の散歩に出ると、
彼と同い年の、普通の子供たちを嫌でも目にする。
通い始めた幼稚園の迎えのバスを待っている。
親と手をつないで。
長男に目をやると、道沿いの住宅の門扉をいじっている。
門扉にこだわりがあり、一軒ごとに取手を回さねば気が済まない。
止めると暴れる。

次の門扉へ移る時、右手を握ろうとしてみた。
払いのけられた。

昼前の公園、長男が遊ぶすべり台に、幼稚園児が二人走ってくる。
真新しい水色の帽子だ。
階段を勢いよく上るが、てっぺんで息子を先頭に渋滞する。
「ねえ、早くすべってよ」
そう言われても動かない。すべり台の流儀を理解していない。
母親たちが怪訝な顔つきになる。
「すいません、うちの子、障害があって、言葉が無いんです」
「ああ、そうなんですか。だいじょぶです」
しかし子供たちはすぐに焦れて
「ねえママー、この子へんだよー」
急いで
「ごめんねー。ほら、こっちだ」
抱きかかえて無理やり降ろし、その場を離れた。
「すいません、失礼しました」

福祉センターの貼り紙を頼りに、
児童発達支援デイサービスの見学に行った。
同年代の障害児を目にすると心が落ち着く。
そして私は較べる。
あの子はうちの子より重そうだ
あの子はうちの子と同じくらいか
あの子は
あの子はあの子は

帰り、息子は自転車の後ろの座席で
うおおおう、うおおおうと大声を上げている。
すれ違う人の視線を感じる。
今のところ、彼が発する唯一の声だが、
喜んでいるのか怒っているのか分からない。

まだ四月の半ばというのに、
午後の日射しは初夏のようだ。

飲みたい、飲んで寝てしまいたい。




2014年3月21日金曜日

エスカレータ

長男は下りのエスカレータを上りたいのだが、
そんなことは許されないし、危ない。
そうして一悶着、
彼は激しい癇癪を起こして泣き叫びながら地面に突っ伏してしまう。
外出するたび、このようなトラブルが必ず数回ある。

彼が普通の子だったら、毎日どんなに楽だろう。
だが普通の子だったら
今回育休を取ることもなかっただろうし、
そうすると僕は自分にとって決定的に重要なことを
知らないままでいただろう。

泣きじゃくる息子の傍らに座り込んでいると、
エスカレータを降りてきた初老の女性が覗き込むようにして、
「いつかわかってくれますよ」
と、声をかけてくれた。



2014年3月3日月曜日

2014年3月3日、
男子、3574g
名は「橙(だい)」














おかげさまで母子ともに健康。
切迫早産での入院、
にもかかわらず予定日超過と気を揉んだが、
ひとまずほっとしている。

三年前に続いて、今回も分娩に立ち会うことが出来た。
赤ん坊の頭もそろそろ出てくるという最後の局面、
私の腕を握りしめて頑張る妻が
「あとであざにならないかなあ」
とこちらを気遣う言葉を口にするのを聞き、
この人とこれからも
いろんなことを乗り越えていこうと思った。

七月まで育児休業、
この機会に長男の障害と向き合う。



2014年1月10日金曜日

無知

1月9日、午後になって息子の咳がひどくなり、
軟便や嘔吐もあるため、妻の入院先の病院へ。
てっきりママの見舞いと思っていた息子はショックで大泣き、
処方されたシロップ入りの粉薬の在庫無いと薬局数軒に断られる、
水に溶いた薬を飲むのが嫌だと息子大暴れ、
あたり一面に液をまき散らして全部洗濯、などいろいろありましたが、
何もかもいい思い出になるかしらん。

育児、この半端ない仕事について私は今まで無知だった。
それなりやってるつもりで、
本当の根幹の部分は
結局、妻に任せっぱなしだったと、今にしてつくづく知った。

自分の誕生日だったと、過ぎてから気づいた。
三十九歳。
ここで知れたなら、良くはないけど悪くも無い。