2019年4月5日金曜日

疎遠

四月五日は母の誕生日で、彼女は七十九歳になった。
郷里の尼崎で、一人で暮らしている。

私は大変な難産の末に生まれたひとりっ子で、
家族は七十年代後半から九十年代前半にかけて、
親子三人に母方の祖母を加えた四人暮らしだった。
私が子供の頃、母は折に触れて
「男の子は大きくなったら独立しなきゃ。いつまでも親の脛齧りはみっともないわ」
と口にしていた。

高校三年の時に父が死に、大学一年の時に祖母が死んだが、
私は母の口癖を真に受けていたので、
大学二年の時、一人暮らしをすると彼女に告げた。
「割のいいバイトを掛け持ちしているから、仕送りの必要は無いよ」

母は一瞬、虚を衝かれたようだったが、
みるみる鬼のような形相になり
「お前までわたしを置いていくのか」
と叫ぶように言った。
私は非常に混乱したが、何とか認識を新たにした。
「この人はもう私の保護者ではないのだ。私がこの人を保護しなければならないのだ」
私は諦め、卒業まで、尼崎から京都へ通った。

今にしてみれば、当時の母の気持ちは判る。
だが、彼女は決してそのように反応するべきではなかったし、
同時に、私も決してそのように応じるべきではなかった。
母は私に、死んだ夫を投影するようになった。
私は母から離れるため、東京での就職を望んだ。

その後も色々なことがあって母とは決定的に疎遠になり、
そして今に至っている。
生活費の仕送りをするだけだ。
この先、彼女が介護を必要とする状況になっても、私は同居するつもりが無い。
しかし、彼女を「大人になりきれなかった人」と捉えて、
かわいいと思うことくらいなら出来るかもしれないと、最近は考える。
不遜な物言いだろうか。

朝、最寄り駅に向かう途中で、
母に「誕生日おめでとう」とメールを送った。
すぐに「ありがとうね」と返信が来た。
語尾には、桃色に笑った絵文字が付いていた。