四月五日は母の誕生日で、彼女は七十九歳になった。
郷里の尼崎で、一人で暮らしている。
私は大変な難産の末に生まれたひとりっ子で、
家族は七十年代後半から九十年代前半にかけて、
親子三人に母方の祖母を加えた四人暮らしだった。
私が子供の頃、母は折に触れて
「男の子は大きくなったら独立しなきゃ。いつまでも親の脛齧りはみっともないわ」
と口にしていた。
高校三年の時に父が死に、大学一年の時に祖母が死んだが、
私は母の口癖を真に受けていたので、
大学二年の時、一人暮らしをすると彼女に告げた。
「割のいいバイトを掛け持ちしているから、仕送りの必要は無いよ」
母は一瞬、虚を衝かれたようだったが、
みるみる鬼のような形相になり
「お前までわたしを置いていくのか」
と叫ぶように言った。
私は非常に混乱したが、何とか認識を新たにした。
「この人はもう私の保護者ではないのだ。私がこの人を保護しなければならないのだ」
私は諦め、卒業まで、尼崎から京都へ通った。
今にしてみれば、当時の母の気持ちは判る。
だが、彼女は決してそのように反応するべきではなかったし、
同時に、私も決してそのように応じるべきではなかった。
母は私に、死んだ夫を投影するようになった。
私は母から離れるため、東京での就職を望んだ。
その後も色々なことがあって母とは決定的に疎遠になり、
そして今に至っている。
生活費の仕送りをするだけだ。
この先、彼女が介護を必要とする状況になっても、私は同居するつもりが無い。
しかし、彼女を「大人になりきれなかった人」と捉えて、
かわいいと思うことくらいなら出来るかもしれないと、最近は考える。
不遜な物言いだろうか。
朝、最寄り駅に向かう途中で、
母に「誕生日おめでとう」とメールを送った。
すぐに「ありがとうね」と返信が来た。
語尾には、桃色に笑った絵文字が付いていた。