2020年5月2日土曜日

指輪物語

小学生の頃の私は、いわゆる「本の虫」だった。
「どこか遠いところへ行きたい」という強い願望を、常に抱いていたからだと思う。
「遠くへ行く」手段がマンガやゲームなら、
長いあいだ熱中すれば大人たちが必ず咎めるが、
本を読んでいるとなれば五月蠅いことは滅多に言われない。
毎週土曜、武庫之荘にあった尼崎市立北図書館へ自転車で行って4冊借り、
次の土曜日までに読み切って、また4冊借りる。
正面玄関入って右側の児童書コーナーは、私にとって宝の山だった。

「遠くへ行きたくて」読んでいるので、
畢竟、海外のファンタジーにのめり込んだ。
福音館書店のハードカバーで読んだ海底二万マイルやジャングルブックや宝島、
偕成社から出ていた大どろぼうホッツェンプロッツにクラバート、
それからとりわけ、
岩波書店によって知ることが出来た数々の名品。
ドリトル先生、ナルニア国ものがたり、ゲド戦記、ケストナーにリンドグレーン、
そしてミヒャエル・エンデの「ジム・ボタン」「モモ」「はてしない物語」など、
枚挙に暇が無い。

あらかた読み尽くしたと悦に入っていた小学五年の十二月、
壁一面の本棚の端っこに、それまでは無かったものを見つけた。
味も素っ気も無い装丁、およそ児童書のコーナーに似つかわしくない、
評論社文庫旧版の指輪物語だった。
その時の私はまさにちょうど
「大人が読むような、味も素っ気も無い表紙の本」を
手に取りたいと思っていたところだった。
冬休み前だったので6冊全部
(現在流通している新版の文庫は全10冊だが、旧版は3部作×上下だった)
借りることができ、
その年末年始、まだ元気だった祖母の部屋の炬燵に潜りながら、
私は中つ国を存分に旅した。

今にして思えばあの指輪物語は、
おそらく当時の司書さんが、大人用の書棚から移してきてくれたものだった。
私だけのために、というのはさすがに傲慢が過ぎるけれど、
私のような本の虫、毎週毎週通ってくる変わり者の子供のために、
あの年の瀬「こいつもいってみろよ」と、投げかけてくれたのだと思っている。





2020年5月1日金曜日

彼方なる歌に耳を澄ませよ

 座右の書、アリステア・マクラウド「彼方なる歌に耳を澄ませよ」

アリステア・マクラウド(1936-2014)は非常に寡作、
自分が育ったカナダ東端ノヴァ・スコシア州ケープ・ブレトン島の
スコットランド系移民の話「しか」書かなかった人だ。
歴史に立脚して生きる親の人生と、それを後ろに置いていかざるを得ない子の人生。
別巻の短編集「灰色の輝ける贈り物」所収の「船」における、
子から父への思いを綴った次のような一文に象徴される世界である。

「自分本位の夢を一生追い続ける人生より、
 ほんとうはしたくないことをして過ごす人生のほうが、はるかに勇敢だと思った」
(I thought it was very much braver to spend a life doing what you really do not want
 rather than selfishly following forever your own dreams)

「彼方なる歌に耳を澄ませよ」は唯一の長編で、集大成と言ってよいだろう。
結びの一節
「誰でも愛されるとよりよい人間になる」
(All of us are better when we're loved)は、
障害を持つ長男と生きる上で、私を支え続けてくれている言葉である。