2021年4月1日木曜日

ヤングケアラー

若い時分に書いた文を読み返してみると、
全般、恥ずかしいという気持ちしか湧かないのですが、
十代の頃に介護した祖母についての文だけは、
本当のことが(叩きつけるように)書けている感じがします。

昨今、ヤングケアラーという言葉をよく耳にするようになりました。
当時の私も今にして思えば典型的なヤングケアラーあり、
その疲弊によって、後の人生が些かややこしくなってしまったことは否めません。
今、使命感をよすがに日々を何とか過ごしている若い介護者の、
その後の健やかさを担保するために、
何か出来ることはないだろうかと思います。

*****

僕はあなたに感謝します
小さくふにゃふにゃな僕を お湯で洗ってくれてありがとう
そのふしくれだった手の温度がなくては
三歩と歩けず立ち止まってしまう僕を
外へと連れ出してくれてありがとう
線路わきの金網ごしに
いつまでも 電車が走るのを見せてくれてありがとう
なんにも知らない僕をとなりに座らせて
お経の読み方を教えてくれてありがとう
おたふくみたいな顔をして笑わせてくれて
ありがとう
おみやげにプラスチックの日本刀を買ってくれて 
ありがとう
でも
僕はいつのまにか 線路わきで電車を見なくなりました
お経の読み方も忘れてしまいました
プラスチックの日本刀も なくなってしまいました
僕は すっかりぼけてしまったあなたのことを
どなりつけ
あざけり
さげすんだ
眠ってくれないあなたの前に土下座して
お願いだから寝てくださいと 泣きながら頼んだとき
あなたは繰り返し僕に言った
「悲しませてすまないけれど、
 あたしが何をしたって言うんだい?」
僕はさらに激しく泣きました
僕は お願いだから寝て下さいと泣いて頼みながら
心の中では
お願いだから死んでくださいと 叫んでいたのです
ごめんなさい
あなたが死んだときは 涙ひとつぶ流さなかったのに
今ごろになって ごめんなさい
僕はあなたに あやまります