2013年10月3日木曜日

手をつなぐ

三人で散歩に行った帰り、もう歩けないと道に座り込んで、
抱っこは無いよと親が先に行きかけるのを泣きながら追いかけて、
まあでも、どこかで抱っこしないとしょうがないなと
こちらが思っていたら、
おもむろ、妻と手をつないで、結局最後まで歩いた。






息子は、苦手なことがいろいろある。
そのひとつが親と手をつないで道を歩くことで、
だからこんな普通のことだがとんでもなく貴重に思えて、だから僕は写真を撮る。


春、息子が自閉症と診断された時は、目の前が真っ暗になるような気がした。
受け入れるしかないと頭でわかっていても、やはり受け入れ難かった。

受容。
受容とは、葛藤を制御することだ。

たとえば息子と同じくらいの子どもが、
多くの言葉を使って親と会話しているのを街で見かけるたび、
うちの子はどうして話せないのだろうと、
身を削られるような思いにとらわれる。
そんなふうに思っても何にもならないと自分に言い聞かせても、
どうしても思わずにいられない。
人並みであってほしいのだ。普通であってほしいのだ。
つまらない? いや、つまらなくなんてない。
だからせめて、そういう物思いを認めて、見つめて、制御する。
それが僕にとっての受容だ。


とはいえ、ようやく覚悟も決まってきた。
何があっても、家族を護る。
もういちど春が来る頃には、新しい子も生まれてくる。
いろんなことと、しっかり向き合っていきたい。